インド人牧師をお迎えして特別集会
9月15日(金)にインドからV. G. Selvaraj師をお迎えして、浦安国際キリスト教会で特別集会が開かれました。
当教会員Takekoさんの赴任先インドでの友人であり、たくさんの教会を立ち上げ、熱心に宣教活動をしていらっしゃる牧師です。
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我々にとって初めてのインド人牧師のご訪問にワクワクしながら、Takekoさんの同時通訳により、熱いメッセージが始まりました。
サリーがとてもお似合いですね。
まずは、50歳を過ぎてからカトリックで信仰の道に入られたことを述べられました。
それだけであれば、ただ単にそうなのだと、普通に受け留めていたと思うのですが、その次に、
「マリヤ信仰をしていました」
という発言には身体が吹き飛ばされるほど驚きました。
聞いてはいました。
知ってはいました。
ですが、初めて面と向かって証言を聞いたものですから、それは破壊力抜群でした。
しかもそれに加えて、
「イエスにはそっぽを向いていました」
と言われ、ワケワカメの上にメガテンになり、何か聞き間違いをしたのではないかと思いたかったのですが、
「イエスの方に向きたくありませんでした」
発言に、私の心の中でシャンデリアが落ちました。
イエス様と父なる神様は脇に追いやられ、マリヤが主役?
確かに彼女はイエスの母となった女性ですが、それは神様の一方的な恵みによる祝福であり、家系の都合や処女であることや信仰を認められて器になったに過ぎない人間です。
それに、公生活に入られて初めてしるしを見せられた「カナの婚宴」でのイエス様は、マリヤに「ぶどう酒がありません」と言われた時
「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」
— ヨハネ 2:3
とのように、「肉による関係」を切り離されたわけなんですね。
また、十字架上でも
「女の方。そこに、あなたの息子がいます」
— ヨハネ 19:26
と、母マリヤに対して発言しています。
「ヨハネの母になりなさい」という意味です。
イエス様が公生活に入られてからは、母であってもマリヤは一信徒に過ぎなかったのです。
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プロパガンダですね。騙されるのはヤメましょう。
あくまでも、マリヤは信仰と崇拝の対象にはなり得ません。
とのように、心の中がトグロを巻いていましたらば、夫人の祈りにより、牧師はプロテスタントに改宗されたということで、めでたしメデタシでした。
夫人は7年間祈り続けたそうです。
祈りのチカラは凄いですね、強いですね。
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あとのテーマは終始一貫、「神の御国」についてでした。
とても有り難く嬉しいメッセージでした。
実はみ言葉をいただくにつれ、自分の隠れた罪がドンドン現されてきた今日この頃、もしかしたら自分は天国に行けないのではないかとの思いがもたげてきていたのです。
大先輩方からも、言われてみると自信がない...との意見がチラホラ出始めていた矢先でした。
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ですが、「私たちはすでに赦されているのだから、大確信を持って天国へ行けると信じましょう!信じなければならないのです!!」
との熱い熱いメッセージに、心が救われました。
そうですよね。イエス様の完全な血の贖いによって、父なる神様の人間への怒りがなだめられ、イエス様を通して、その御名により祈る信仰者は罪が帳消しにされ、既に「いのちの書 」に名が記されているのですから、心を騒がせず、日々信じて祈っていくことが大切なのだと、改めて心に刻みました。
まだまだヨチヨチ歩きですが、自分の全てを主に委ね、明け渡していれば、主のみわざが自分に現れるということは、何度か体験済みです。
フラフラしていてはダメですね。V. G. Selvaraj師のメッセージに大感謝です。
それにしても、ヒンズー教主体のインドでさえ、クリスチャンが20%もいるということを伺い、かなり焦っています(汗
多種の言語を持つ広大な国での布教の苦労は並大抵のことではないとお察しします。
もしかしたら日本人は、ユダヤ人よりも「うなじがこわい民」かもしれません。
※この言葉は「素直に言うことを聞かない」という意味の比喩です。
うなじがこわい(かたい)と首を前に倒すことができなくなり、神に従うポーズができなくなります。
できれば旧約時代に「選民」として、訓練されたかったと今更ながら思ったり...←
ということで、国が違えど信仰者の思いはひとつなのだということが判り、大いに励まされ、更にイエス様だけを見つめて一心に歩んで行こう!との決意ができました。
素晴らしい集会をありがとうございました。
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ちなみに、今回安西は撮影班に徹しましたので、写っておりません。
浦安国際キリスト教会の若手として、これからも大先輩方に仕えることをここに誓います(爆
それではまた🎶
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