「他者のために祈る」エズラ3
あるクリスチャンの床屋は、お客さんが罪を悔いて死後天国に行けるように祈りました。そして、お客さんの髪を刈ってから、剃刀を手に持ってひげを剃る時になった時、「あなたは、死後の世界に備えて、死ぬ準備ができていますか。」と言いました。お客さんは、震えて、「いいえ、まだです。」と答えました。
祈りはクリスチャンにとって呼吸だと言われています。祈りを絶つと霊的に死んでしまいます。
宗教改革者のルターは一日に三時間祈ったと言われています。「今日はすべきことがあまりにも多いから、一時間ほど余分に祈りの時間を取らなければならない」ルター
世界で最も多く人々に説教して語ったと言われるアメリカの大衆伝道者ビリーグラハムに、レポーターが来て、「伝道者として何が一番大事ですかと?」質問されました。すると、「一に祈り、二に祈り、三に祈り」と答えたそうです。祈ることの必要性は聖書が祈りについて多く述べていることからも分かります。「絶えず祈りなさい」Iテサロニケ5:17 「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい」コロサイ4:2 「思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい」Iぺテロ4:7
「心からの祈りによって、成し遂げられないものは、この世に無い」マハトマ・ガンジー
エズラはイスラエルの民や祭司やレビ人たちが異国の妻をめとっている事を知り、自分の衣を引き裂き、祈りました。‥‥夕方のささげ物の時刻になって、私は気を取り戻し、着物と上着を裂いたまま、ひざまずき、私の神、主に向かって手を差し伸ばし、祈って、言った。「‥‥私たちの咎は私たちの頭より高く増し加わり、私たちの罪過は大きく天にまで達したからです。‥‥ エズラ9:1-6
日本人は無知の故に偶像を拝みますが、ユダヤ人たちは、真の神を知っていて、偶像礼拝は罪であると知っていながら行うのですから、その罪は重いです。イスラエルの偶像礼拝は宮での男娼、巫女との不品行、幼児の生け贄など罪が関連していました。
エズラはイスラエルの民が異教徒の娘たちと結婚した罪に心を痛め罪の告白の祈りをしました。
ここでエズラの素晴らしい点は、自分は異教徒と結婚して、偶像礼拝をしていないのに、あたかも自分が偶像礼拝の罪を犯し、神に背いたかのように、祈って、罪を告白していることです。人は普通、自分の罪を他人のせいにする、無責任で、ずるい所があります。他人の罪を自分の罪として考える責任感の強い人は少ないです。罪を自覚して、悔いて、罪を告白すれば、罪が許されます。「もし、私たちが罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を許し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」Iヨハネ第 1:9
イスラエルの歴史はモーセの時代から、この偶造礼拝の罪の繰り返しです。神殿再建に使命を持ったユダヤ人たちはエルサレムに戻ってから、先祖が行った異教徒の娘たちをめとる罪を犯しました。ここに、人間の弱さ、罪深さを見ることができます。
このとりなしの祈りの結果奇跡が起こり、民は悔い改めました。イスラエルの民は不信の罪を告白しました。祈りが罪に打ち勝ち、民の心を変えました。ここに祈りの力を見ることができます。エズラが神の宮の前でひれ伏し、涙ながらに祈って告白しているとき、イスラエルのうちから男や女や子どもの大集団が彼のところに集まって来て、民は激しく涙を流して泣いた。‥…「私たちは、私たちの神に対して不信の罪を犯し、この地の民である外国の女をめとりました。‥‥‥エズラ10:1-4
祈りは力があります。祈りによって、全能の神様が動いてくださるからです。 誰でも、どんな人でも祈ることはできます。あきらめないで、家族の救い、友人の救い、教会の成長、世界平和のために祈り続けましょう。その他、問題解決のため、道が切り開かれるように祈りましょう。
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