「救いの計画」エステル
天国の門の前に、聖
ペテロが立って、入る人に順番に話していました。タクシーの運転手に言いました。 「生前は、良く働いてくださいました。あの三階建てで、プール付きの大邸宅が、あなたの家です。」次に牧師さんに、「生前は、教会の仕事ご苦労様でした。あの古い小さな家があなたの家です。」とペテロが言いました。「すいません、これは、何かの間違いでしょう。あのタクシーの運手の家が私のではないでしょうか。」と、牧師さんが言うと、ペテロは「いや間違いはありません。タクシーの運転手のお客さんは、危険を感じて、皆、必死に祈りましたが、あなたの教会の礼拝出席者は、皆、居眠りしていました。」と答えました。
エステルが王妃になったのは、BC538年にバビロンがペルシャに滅ぼされ、バビロンに捕囚されたユダヤ人が多くバビロンに残っている時でした。アハシュエロス王(クセルクセス1世)BC496年 - 475年はインドからエチオピアまで及ぶ広大なメド・ペルシャ帝国の皇帝でした。王は王宮で盛大な祝宴を催しました。王は王妃の美しさを見せるために王妃ワシュティを祝宴に呼びましたが、どういうわけか王妃は王の命令に従いませんでした。王は非常に怒り、王妃ワシュティは永久追放され、代わりに姿も顔立ちも美しいエステルが王妃として選ばれました。
エステルは両親が死にユダヤ人の叔父のモルデカイに育てられました。モルデカイは宮廷に仕えますが、総理大臣ハマンに頭を下げて敬いません。それでハマンは怒りモルデカイばかりかユダヤ人全てを抹殺しようと計画します。
そこで、エステルの叔モルデカイは王妃エステルにユダヤ人の危機を知らせ、勇気を奮って王の助けを求めるように伝えます。 しかし、エステルにはある問題がありました。 それは、「たとえ王の家来でも、だれでも、召されないで内庭にはいり、王のところに行く者は死刑に処せられるという」一つの法令がありました。エステルはその問題をモルデカイに伝えました。エステル記4:12
モルデカイはエステルにチャレンジしました。 もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」4:14
私たちが、恵まれた生活が与えられているのは神からの恵みで、自分だけのものではないのです。他者のためのその恵みを分かち合うべきなのです。エステルは覚悟をきめました。そして叔父に言いました。
たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」4:16
このエステルの決意と行動で、王の助けを得て、ユダヤ人たちは虐殺から救われます。クリスチャンは、キリストに似た者、キリストに習うものと言う意味ですから、イエス・キリストが人類の救いのために命を捨てたように、自分のためだけではなく他者の救いのために生きるべきです。
しかし、罪深い、利己的な人間である一般の私たちには、他者のために犠牲を払うのは容易ではありません。
祈りによる、神の助け、聖霊の働きが必要です。「命を救おうと思うものはそれを失い、私と福音のために命を失うものはそれを救うので」マルコ8:35
杉原千畝(ちうね)は第二次世界大戦中に駐リトアニア領事代理としてナチス・ドイツの迫害を受けたユダヤ人を救うため「命のビザ(査証)」を発給し続けて、6000人のユダヤ人を救いました。1940年7月から8月にかけて、ドイツの同盟国である日本の外務省からの訓令に反して、殺されることを覚悟して大量のビザ(通過査証)を発給し、避難民を救いました。
この世で成功して、金持ちや、有名人になるより、危険を冒してでも他者を救うことに徹して生きる人を神様は尊んでくださいます。エステルは殺されることを覚悟して、ユダヤ人の救いのために立ち上がりました。 自己犠牲の精神によって、人はいっそう輝きを増す。 周恩来
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