「父の愛に応えて」ルカ15 サムエル下13
「父なる神の愛に応えて」
(ゼパニヤ3:17)
『友よ明日輝こう』 作詞 豊田龍彦 作曲平岡修治
1 友よ明日輝こう 明日輝くためには 今日心がもえてるか 主の愛にもえてるか
2 友よ明日輝こう もえ輝くためには 罪が心にないか 赦された者はもえる
3 友よ明日輝こう カルバリの主を見つめ その愛にふれたとき 心は輝きもえる
4 友よ明日輝こう 輝く星のごとく 暗き世界を照らす 光となってもえよう
5 友よ明日輝こう 聖書(みふみ) をたずさえながら もえる心うちに秘め み霊にみちあふれて
大阪の天王山 ニューライフキリスト教会があります。100名を超える教会
あの森祐理さんが所属する教会です。 豊田信行牧師の父 33歳
神学校を卒業してわずか1年4か月、山で徹夜祈祷してそのまま帰らぬ人となったのです。
若い伝道者が召される 死んでしまうことがあります。「なぜ、なぜ」に尽きるのです。
老齢の役割を終えたような者が召されるのは、理不尽まで覚えないが、これから何十年と主の働きをする者の人生が、強制終了させられるのは、痛ましくてならない。生きておれば80歳前でしょうか?
あるいは何百人という人を救いに導いたことでしょう。
ただただ無念。
葬儀での告別の辞
「正しい人の終わりほど、人々に多くの感動を与えるものはない。若くして逝った敬愛する豊田伝道師の死は、生涯忘れることのできない、深い感銘と警告を与えられたものである。寂として人影一つない深夜、山中の岩壁に夜を徹して祈りつつ天に召されていった。その最期の壮絶さは、正に戦場に身を挺して戦いの花と散っていく若武者を彷彿させるものである。福音の戦士としてこれ以上見事な終わりは望めないであろう。ある人は燃える人と表現する。」この言葉を皆さんならどう聞くでしょう。
「父の33年の生涯は、救霊のためにささげ尽された人生であった。」と長男の信行師も語ります。
しかし、同時に次のように語っています。
「父の死は、残された家族にとっては悲劇的な死でしかなかった。父の死を信仰的にどのように受け止めるべきか、残された家族に突き付けられた重い課題であった。私自身も神の摂理を悟るまで、長い信仰の冬の時代を過ごすことになった。」
「父の突然の死は、幼い私の心に暗い影を落とし、未来は輝きを失った。」
事実10歳に満たない彼は、5人兄弟の長男として、父親的役割を背負わされたのです。
神の愛の2つの側面
1.母なる神の愛 受容の愛 子をありのまま受容する愛
2.父なる神の愛 承認の愛 子の存在を肯定する愛
1.神の愛は無条件の愛だけか?
自分が愛されるだけの価値を証明する必要がない。愛を獲得することも求められていない。
まず先に神が愛されている。愛されているがゆえに「高価で尊い」とみなされます。
ヨハネの手紙4章9.10節
9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」
母の愛は無条件です。出来が悪くても、たとえ犯罪者であっても愛される。
※野田詠エイジ師 : 十代で暴走族に所属。窃盗や暴力行為などで数度少年鑑別所に入り、十九歳のときには少年院送致となる。獄中で聖書に出会い、クリスチャンとなり牧師となる。
「私を代わりに刑務所に入れてください」 法廷での母の叫びに著者の心は震えた。ドラッグに溺れ、ナイフを頼りに暴れ回った私の代わりに「母である私を代わりに刑務所に入れてください。」 母親は、子どもがどんな過ちや罪を犯しても、愛情は変わらず、子どもの人生と幸福を願う。 受動的愛 生きているだけで愛される 3歳までの母性愛は、子どもの情緒の健全な発達には不可欠です。
存在の肯定 あるがままでいい 「あなたは そこにいるだけで価値がある存在」
「愛する子」と呼びかける声を聞く
決して、何かの資格を必要とはしない。
生まれ持って、高価で尊い、神の作られた子である
やさしく、慈しみ深く、赦しに富む母なる神の愛があります。
一方、父の愛は条件付きの愛です。
能動的愛 子どもが間違ったことをすれば、その責任をとらなければならない。
子どもが生き方を変えなければ、父の愛情は受けられない。
もし、この母性愛だけで成長していくと、自分から能動的に、積極的に愛することに欠けます。
日本人の親子関係は、母性愛が中心であると言われています。
母性愛だけで育つと、結婚しても、愛されることを要求し合う関係に陥ってしまう傾向があり、結婚生活は短命でおわることが多いと指摘されています。
※レンブラント 放蕩息子の帰郷
右手と左手 右手は上品で、柔らかく、とてもやさしい 撫でる 慰める 母の手
左手は力強く、たくましい しっかりと支える 受け止める 父の手
右手は、息子の傷ついたところを保護し、左手は、息子が力づけ、自分の人生を歩むように願っているようです。
ユダヤが父性社会、男性社会であったため、聖書は力強い父なる神を描いている
しかし、「めんどりが雛を羽の下に集めるように、わたしは子どもたちを何度集めようとしたことか」と母性愛に満ちた神でした。みつばさのかげにかくまう母なる神です。
父親らしさと母親らしさをことごとく兼ね備えた神の御手を覚えたいと思います。
2.子として愛されるとは? 今朝は、父なる神の愛を中心に考えたいのです。
※私は、ある出来事を思い出します。
長男が中3だった頃、ホームステイから帰ってきてすぐ、洗礼を受けたいと言ってきました。
「救いの確信もないのに、まだ早い」というような返答をしたように思います。
それからしばらく、2年余りでしょうか、教会に行かなくなり、家では、反抗も強くなり、単身赴任を引き上げてきたほどでした。
いつ信仰が戻ってくるのか、あるいは戻らないのか?父親としての選択が正しかったのか苦しんだ時期でした。
意識にどこまであったかわかりませんが、長男には、父親の承認、許可が得られず、愛情を感じなくなったのではないかとも想像します。
父親の愛は不完全で、子どもを傷つけ、自信を損ない、失望を与え、父親として失敗を繰り返します。父親は、どんなにがんばっても、子どものうちに怒りを積み重ねてしまう存在ではないのでしょうか?
子どもは子どもで、父親の期待を裏切り、失望させ、放蕩息子という烙印を、自分に押しているのです。
※ダビデとアブシャロム サムエル記第二13章~19章
ダビデ王には、異母兄弟の20人以上の子どもたちがいました。
アブシャロムには美しい実の妹タマルがいました。
ダビデは、特に長男アムノンを溺愛します。
アムノンは、異母の妹タマルに禁断の恋をし、憔悴のあまり、策略を講じて、ついにタマルを辱めます。強姦です。そしてその途端、急に愛情が冷めていきました。タマルは見向きもされず、捨てられます。
タマルの実の兄、3男のアブシャロムは、泣き悲しむタマルの姿を毎日見て、アムノンを憎みます。しかしアブシャロムは怒りの感情を抑え、このことの正しい裁きと怒りを、父ダビデにゆだねます。
父ダビデが長男アムノンだけを特別扱いしないか心配しつつも、父ダビデに期待します。ダビデは激しく激昂しました。自分を打ちたたいてその怒りをおさえたのでしょう。しかし、面と向かってアムノンの罪を罰することをしませんでした。
※私たちも、この世の不正、理不尽を正しく裁かれない神に不満、不信を抱きます。
神は不誠実、不真実ではないかと、腹を立てるのです。
ダビデが問題を放置することによって、家庭内の問題が、国家の危機に発展します。
日々やつれていく妹タマル、父ダビデの采配を待ちつつ、期待を裏切られ苦しむアブシャロム
父への信頼を裏切られ深く傷つき、父に愛されない子としての自覚が膨張し、やがてアブシャロムは暴走します。
アムノンの殺害を実行します。自分の手で裁き、タマルの復讐をします。
父親ダビデは、この日、二人の息子を失いました。
3年間、アブシャロムはダビデと断絶します。ダビデが怒りの中に籠っていたからです。
アブシャロムは、厳しい罰を覚悟して、ダビデに面会を求めますが、かたくなに拒絶されます。
アブシャロムは、さらに父に憎しみを増長させます。ダビデが子ではないと拒絶し続けたからです。
やがて謀反を起こします。ダビデは、泣きながら裸足で、都エルサレムを捨て逃げ出します。
外敵に対し百戦百勝のダビデが、家族、特に子供のことでは、からっきしダメ親でした。
反乱を起こしたアブシャロムは、ダビデの忠臣、ヨアブによって殺されます。
「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子よ。ああ、私がお前に代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ」
悔恨の涙は、ダビデだけでなく、イスラエル国家にも大きな影を落とすのです。
なぜダビデは、アムノンを罰し、アブシャロムを罰し、死ぬ気で息子たちと向き合わなかったのか?
ダビデは父親として、完全に自信喪失していたのです。
エッサイの8番目の子として生まれ、祭司サムエルがサウルに次ぐ王の候補を探しに来た時、ダビデは、父エッサイの目から、完全に除外されていました。子として、認められなかった、愛されなかった経験をしていたのです。
しかし、ダビデは完全な父親である主なる神に出会いました。そして選ばれ、ゴリアテに勝ちます。父エッサイに愛されずとも、父なる神に愛されたダビデは、数々の試練を乗り越えて王になりました。
ただ幼少時に、父から認められなかった経験が、再び影を落とします。
自分の忠実な家来ウリヤの妻、バテ・シェバとの間にできた不倫の子どもが死んでしまいます。
その時ダビデは、父親失格の烙印を自覚するのです。
自分の罪によって、子どもを死なせてしまったダビデは、父親として機能しなくなったのです。
叱るという役割、赦すという決断、逃げずに向き合うという勇気、それら父親のやるべき行為を欠いた結果、悲劇を刈り取ることになったのです。
ダビデがアムノンに正しい裁きを下せば、アブシャロムが復讐の血でそめることはなかった。
アブシャロムはアムノンを赦すことができた。二人とも命を落とすことはなかった。
信仰者として、世界の何億、何千万という人を慰め力づけてきたあの詩篇の作者であるダビデ王にして、不完全な父親だったのです。
しかし、成功した理想的な父親像を、聖書の人物から探すことは困難です。この世の現実です。
ただ一人、あの放蕩息子の父だけは、息子の帰りを信じて待ち続けていました。父なる神のモデルです。ルカの福音書15章11節以降です。
父は、弟息子の姿を遠くに見つけ、
「家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。」とあります。
父の命に等しい財産を求め、父の顔に泥を塗り、異邦人の地へと旅立った放蕩息子を、飛び上がるほど喜んで迎え、恥も外聞も捨て、全速力で駆け寄ったのです。
それは、息子として承認する愛です。
放蕩息子の父は弟息子に、せめて厳しい罰を与えることもできたでしょう。
しかし父は、息子が受けるべき社会的制裁をすべて自分が負い、全力で走り寄ることで、自分自身を犠牲に投げ出したのです。
これは、世の親にはできない、愛なる神の姿であり、イエス・キリストの十字架の愛でもあります。母性的な愛といえるでしょう。
そして、父は放蕩息子を、子として承認宣言をします。
「急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。」
父の喜びの子として、新しい着物、子の身分や地位をあらわす指輪、くつを身に付けることが、社会的承認を受ける条件でした。
父から「子として受け入れなかった」と自覚したアブシャロム、父ダビデへの怒りと裏腹に、そんな父親にでも認められたかったアブシャロム、突き放されれば放されるほど自分の存在を受け入れてほしかったアブシャロムだったことでしょう。
一方、反抗して出て行った時も子として、放蕩中も子として、目が涙でつぶれるほど待ち続けられ、ボロボロで帰ってきた時にも、父になりふり構わず全力で走り寄られ抱きしめられ、大宴会を開いてはっきりと子として承認を受けた弟息子、この父としての両者の違いは、著しいのです。
人は、子として承認されるために、父なる完全な神に出会うことが、なくてはならないのです。
親替えという心理学用語です。本当の父親を見出すことがどうしても必要なのです。
3.父なる神の愛に応えるために
豊田信行牧師の話の続きをします。
父が亡くなる9日前に生まれた5男献児さんは、半年後、「他の家族のもとへ行くことになった」と母から告げられます。
父がいなくなった悲しみの中、9歳下の献児君は、兄たちの癒しとなっていたようです。
信行師は母に「他の家族のもとへ行かなければならないの?」何度も尋ねたそうです。
行先は、関西聖書神学校の校長であった有賀喜一先生の家でした。
信行師は目の前から消えた弟を追いかけ「神様、どうして」と心の中で叫び続けたそうです。
それ以来一日たりとも忘れたことのない弟を、27歳になった自分の結婚式に招待しましたが、献児さんからの返事は欠席でした。
弟の献児さんは、幼少の頃から「もらわれてきた子」と周りの子どもたちにからかわれてきたようです。ずっと「お前は捨てられた」というメッセージを受け取ってきたのです。
はっきりと自分が養子である事実を知らされた17歳、兄たちに会う勇気はなく、兄信行師の結婚式に出席する勇気はありませんでした。
しかし数年後、献児さんはある記事を目にしました。牧師となっていた信行師の弟への思い、もらわれていく弟を追いかけ家を飛び出した時の心境、それ以来、一人預けられた幼い弟に対してずっと罪責感を抱いてきたことなどを書いた記事を目にしました。
読んだ献児さんは、幼い時から彼の心に重くのしかかっていた「拒絶感」が押し流されるように涙にあふれ止まらなかったそうです。
そして、自分の婚約者と一緒に、兄信行師に再会するために、ニューライフ教会の礼拝に来られました。
そこで、次兄にも会い、しばらく抱きしめられたそうです。
献児さんは、ただただ涙が出てきて泣いていたそうです。
今まで背負ってきた自分の生い立ちという重荷、その緊張の糸が切れた、自分の帰るべき所、会わなければならない人と再会を果たした安堵感にあふれていたようです。
人は、帰るべき所に帰った時に、「よく帰ってきたな、今までよく頑張ったな」と承認され、褒められるのです。
父なる神は、待っておられた、意気揚々と出て行った放蕩息子が、帰ってくるのを待ちわびていました。
人は、本当の自分の生みの親、この世に生を与え、育み、守ってきてくださった父なる神のもとに帰らなければならないのです。
豊田ファミリー5人兄弟は、33歳の父と突然死別し、路頭に迷ってしまって、父なる神も信仰も見失いました。
信行師もダビデ同様「父の承認」知らずに大きくなり、父親になって、よい父親像という偶像によって、父親失格を味わってきたといいます。
多くの父親が過ちをおかしやすいのです。現在も父親の役割に不安がある人は、半数近くいるそうです。
子どもへの過度の思い入れ、期待感は、父親という役割の不安から生じるものです。
しかし今、多くの年月を経て、神の摂理、ご計画が、はっきりと理解できるようになったのです。神はこの5人の兄弟を見捨てず、再会、和解、赦しによって、父なる神の愛に帰りました。父の作った賛美「友よ明日輝こう」という希望が、自分たちの賛美として再生されたのです。
アブシャロムと父ダビデ、放蕩息子と父、豊田信行師と父、そして弟のことを見てきました。
主にあって愛する兄弟姉妹の皆さん、何を示され、どんな思いに至ったでしょうか?
あなたは子として愛されています。
あなたは子として赦されています。
あなたは子として価値があります。
私たちは、救い主イエス・キリストを信じることによって「子とされました」神の子とされました。
これが福音の本質です。
肉親の父親の自己評価という観点から見るのではなく、父なる神の「愛する子」という目を通して、自分を見るのです。
私たちが神を選んだのではなく、神が私たちをお選びになりました。
永遠の昔から、私たちは選ばれ愛されてきた。これは、まぎれもない事実です。
適用
教会を33年も守り育ててくださった父なる神の愛に、私たちはどうお応えするのでしょうか?
ふりかえれば、それはまず、故郷を捨てて、宣教師たちがこのまだ漁村だった辺境の地に福音を届けてくださったこと、そして宣教師たちによって、私たちが無条件に愛されたことが出発点でした。
彼らは、反抗的な放蕩息子でなく、従順な放蕩息子として父なる神の代理者として、この地にきてくださったのです。今は父なる神のふところに戻って休んでおられるのです。
そして歴代の日本人牧師によって、教会は牧会され、整えられて、今日があります。
「歴史とは、過去と現在の対話である」と世界的な歴史学者は言いました。
私たち一人ひとりは、それぞれの導かれ方をして、この教会に神の家族として迎え入れられました。 神の摂理です。神のご計画、みこころです。このことを厳粛に受け止めましょう。
今、私たちの父なる神の真実に目を留めましょう。
そして今、私たちは、主から、チャレンジを受けるべきです。
自分の家族が、福音を聞ける環境にいながら、福音を知らずに滅びに至る、地獄に行くとしたら、私たちはどんなに、取り返しようもない後悔、懺悔をしなければならないことでしょう。
私にしか福音を届けられない人たちがいます。
自分でどんな理屈をつけようとも、正当化できない、悔恨の涙を流さないようにしたいものです。。
いのちをかけて、私たち一人一人を愛してくださった、イエス・キリストを語り続けましょう。
神の子、イエス・キリストを差し出すほどに、神から離れた人が、神の子として父なる神のもとに帰ってくるのを、待ちわびておられるのです。
滅びに行くはずだった私たちのいのちを回復してくださった父なる神のために、全力を尽くして主のわざに励むことを、再決心しましょう。
主の贖いの教会を建て上げるため、もう一度、心を奮い立たせようではありませんか?
すべては、父なる神の愛に応えるために・・。
Agapanthus 「agape(愛)」「anthos(花)」
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