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恵みの日々

365 Days of Blessing

聖書解説 Ⅰテモテ6 Ⅱテモテ1~4 

テモテへの手紙第一 6章

「神の人よ。あなたは、これらのことを避け、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めなさい。」(1テモテ 6:11)  

主人を尊敬するようにという奴隷に対する勧めは、前章の続きで す。クリスチャン同士ではないかという甘えは交わりを腐らせる危険があります。相手に対する尊敬はどういう場合にも必要なのです。

パウロは、牧師として立てられたテモテへの手紙を書き終えようとしたとき、キリストの健全なことばと、敬虔にかなう教えに同意しないで、議論を吹っかけ自分の考えを主張してやまない偽教師に注意するように、警告しました。その頃も偽教師が多く出たのでしょう。

偽教師とは、信仰の奥義を語っているようで実はただことばの遊びに耽るだけ、教えを利得の手段と考える人たちでした。人の欲から解き放たれ与えられたもので満足している敬虔さこそ真の教師が身につけるべき特性です。

パウロは、テモテに最後に「神の人よ。あなたはこれらのことを避け、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めなさい。信仰の戦いを立派に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい」と勧めました。そして、神と主イエスを証人として、「私たちの主イエス・キリストの現れの時まで、あなたは、汚れなく、非難されるところなく、命令を守りなさい」と命じました。

教えに励みなさい、ではなく、自分自身の生活を整え、聖徒としての徳を追い求めつづけることを命じていることに目が止まります。人に教えたり指導したりする前に自分自身のきよめを求める者でなければならない、というのです。同じことが私たちにも当てはまると示されます。


テモテへの手紙第二 1章

「私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。」

(2テモテ 1:6)  

テモテへの手紙第二は、パウロが 2度目に捕えられたとき、弟子の テモテが気落ちしているのを知り、彼を励ますために、ローマの獄中 で書かれたもの、と考えられます。そのとき、パウロは死刑を覚悟しており、テモテの方は偽教師たちに教会を荒らされ、気落ちし、涙を流す苦境にあったようです。

パウロは、テモテに、「愛する子テモテ」と呼びかけ、夜昼、祈りの中で彼のことを思い起こし感謝していると告げ、彼の涙を思い、再び会って喜びに満たされたいと願っている、と語ります。 

テモテに対する深い愛が感じ取れます。その愛をもって、パウロはテモテに語り続けます。「私はあなたのうちにある、偽りのない信仰を思い起こしています。その信仰は、最初あなたの祖母ロイスと母ユニケのうちに宿ったもので、それがあなたのうちにも宿っていると私は確信しています。・・・私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。」

信仰の歩みに行き詰ったとき、また戦いに敗れ崩れ落ちそうになったときには、信仰の原点に立ち返り、はじめに主からいただいた賜物を再確認することが回復と勝利への入口となります。 

このことは私たちにとっても同じです。それは、この救いが永遠の昔から神によって備えられ、イエス・キリストの死と復活によって死に対する勝利と永遠のいのちと不滅とを明らかにし、その中に私たちを守ってくれるからです。私も絶えず信仰の原点に立ち返りはじめの愛に立ち戻ろうと思います。


テモテへの手紙第二 2章

「イエス・キリストのことを心に留めていなさい。私が伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえった方です。」(2テモテ 2:8)  

パウロは自分の伝道者生涯の終りが近付いていることを感じ、傷つき弱っている愛する弟子テモテを励まそうとして、彼に対する愛を示し、信仰の原点に立ち返り、はじめに主からいただいた賜物を再確認するように勧め、それから、「キリスト・イエスにある恵みによって強くな りなさい」と励まし、「私から聞いたことを、ほかの人にも教える力のある信頼できる人たちに委ねなさい」と命じました。

福音は伝道者の名誉や責任を超えて世々代々伝えられなくてはならないからです。伝道者、牧者にとって後継者の育成は重大使命です。伝道者、牧師、宣教師に召された者には苦難が避けられません。

ですから、パウロは、「キリスト・イエスの立派な兵士として、私と苦しみをともにしてください」と激励し、「イエス・キリストのことを心に留めていなさい。私が伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫として生まれ、死者の中か らよみがえった方です」と命じました。

イエスさまに目を注ぎイエスさまの死と復活とに思いを潜めることが、あらゆる苦しみに打ち勝つ鍵です。イエスさまと共に死ぬときイエスさまと共に生かされます。イエスさまの兵士として生きるとき、深遠に見える思弁にふけって怠惰な生活を送ったり、要らざる争いを引き起こすような議論にうつつを抜かすのではなく、イエスさまの生き方に合わされ、きよく歩み、苦しみ悩んでいる人々の助けに励むように導かれ育てられるのです。

主は常にご真実なお方ですから、最後まで守り導いてくださいます。



テモテへの手紙第二 3章

「けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。」( 2テモテ 3:14)  

人間はいつも自己中心ですが、ふだんはそれを隠し、いかにも博 愛主義者のような顔をします。しかし、終わりの日には人の自己中心 性がむき出しになる、とパウロは言います。

神を敬わずに自己主張し、 自分の名誉や利益を求め、快楽を愛し、他人を無視し、軽蔑し、自分を愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒涜し、両親に従わず、恩知らずで、汚れ、情け知らずで、和解せず、中傷し、自制できず、粗野で、善を好まず、裏切り、向こう見ずで、思い上がり、神よりも快楽を愛す、とパウロが並べ立てる悪徳はすべて自己中心の現われです。 

外見は敬虔に見せていてもその奥には強烈な自己主張が潜んでいます。豪華な贈り物の底に相手を喜ばせるよりは自己顕示と相手の屈服を求める思いが隠されていることがよくあります。そういう歩みはやがて滅びを招きます。

主のしもべは、世の中のそういう動きに騙されず、しっかり主に結びついた敬虔な歩みをします。しかし、そういう生き方は自己中心の世の人々にとっては目障りで、迫害を受けます。

ですから、敬虔に生きようとする者は迫害を受けることを初めから覚悟し、敬虔を追い求めるように、とパウロは勧めるのです。その歩みは主から教えられ学んだことを確信しそこに留まることによって保たれます。

それは、具体的には、聖書に教えられていることです。私も、聖書は知恵を与え、イエス・キリストに対する信仰によって救いを得させ、良い働きへの備えをさせてくださることを確信し、聖書のみことばをしっかり聴き、そこに留まり、それに従おう、と決心を新たにしました。

テモテへの手紙第二 4章

「それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。」(2テモテ 4:17)

パウロはいつも終わりの日を思いながら使命に励んでいました。この章でも、人々が、健全な教えに耳を貸さず、自分に都合のよいことを語る偽教師を呼び集め、真理に耳をそむけ、空想話に逸れていく時代になる、と言っています。

そういう時代の流れの中で、自分もテモテもみことばを宣べ伝える使命を与えられているのだという自覚のもとに、彼はテモテに「神の御前で、また、生きている人と死んだ人をさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思いながら、私は厳かに命じます。

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くて もしっかりやりなさい」と命じ、「あなたは、どんな場合にも慎んで、苦難に耐え、伝道者の働きをなし、自分の務めを十分に果たしなさい」 と励ましました。

パウロがそう言えたのは、彼自身が大きな困難の中で、その務めを十分に果たしてきた実績があるからでした。彼は、自分の生涯を顧み、「私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守りとおしました」と言いました。

ただ一人、みことばの弁明に立ったときのことも、「それは私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした」と言うことができました。そんな彼を主は助けてくださり、パウロは主を賛美しました。

そして、「あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです」と言い切れたのです。私の生き様に対する大きなチャレンジとして受け止めます。


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