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恵みの日々

365 Days of Blessing

聖書解説 列王記第二 1~10章

2列王記 1章


「あなたがたがエクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てに行くのは、イスラエルに神がいないためか。」

                 (2列王記 1:3、6,16)

 アハブが死んで、その子アハズヤが王になりました。彼は父アハブの道、母イゼベルの道、そしてネバテの子ヤロブアムの道に歩みました。偶像を拝み、主の前に悪を行ったのです。彼が王位に着くとすぐモアブがそむきました。彼自身は屋上の部屋の欄干から落ちて病気になりました。病の不安の中で、彼はエクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てる使者たちを遣わしました。そのとき、主は、主の使いをエリヤに遣わし、アハズヤの使者たちに、「あなたがたがエクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てに行くのは、イスラエルに神がいないためか。それゆえ、主はこ言われる。あなたは上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ」と告げよ、と言われました。アハズヤは帰ってきた使者たちの報告から、それがエリヤだと悟り、50人隊を送って、エリヤを呼び寄せようとしました。50人隊長は、神の人よ、と呼びかけながら、王の権威によってエリヤに出頭を命じました。天からの火が彼らを焼き尽くしました。それが答えでした。同じことが2度繰り返され、3人目の50人隊長は、エリヤの前にへりくだり、憐れみを求め、アハズヤのところに来てくれるように懇願しました。エリヤは出かけ、アハズヤに主のメッセージを語りました。そのことばどおりアハズヤは死にました。偶像に頼るのではなく主に立ち返るように働きかけつづけてくださる主の熱い思いが迫ってくるのを感じます。今も主は、私たちに、そう語りかけておられるのです。


2列王記 2章


「エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている。」

                     (2列王記 2:15)

 エリヤは生涯の最後の時をエリシャとともに過ごして、彼を自分の後継者にと願い、エリシャもエリヤとともに歩んで、主のみことばを語り伝える預言者のつとめに大きな意味を悟ったようです。エリヤは自分の死が近いことを悟り、エリシャもそのことを感じ取りました。エリヤはギルガル、べテル、エリコ、ヨルダンと、あちこちの預言者たちを訪ねて回り、エリシャはエリヤを離れず、彼について回りました。エリヤは、最後に、何を望むか、とエリシャに問いました。エリシャは、あなたの二つの霊をと言いました。イスラエルでは後継ぎが2倍の分け前をもらうことになっていたのです(申21:17)。エリヤは、お前は難しいことを求める、と言いました。エリヤもエリシャが後継者になることを願っていましたが、実際にそうなるかどうかは主がお決めになることだ、と知っていたからでしょう。それで、自分が取り去られるときエリシャがエリヤを見届けることができたらそうなるだろう、と答えました。その後、エリヤは、火の戦車と火の馬とともに、竜巻に乗って、天に引き上げられました。エリシャはそれを見ました。彼は、エリヤの残していった外套で水を打ち、ヨルダンの水を分けてヨルダンを渡って帰ってきました。それを見ていたエリコの預言者たちは、エリシャがエリヤの後継者とされたことを確認しました。主は、エリシャに悪い水をきよめ、彼を侮る若者たちを打って主の預言者の権威を示し、主の預言者としての働きを始めさせられました。私たちは私たちの指導者の何を見ているだろうか、と問われます。

2列王記 3章


「もし私がユダの王ヨシャパテの顔を立てるのでなければ、・・・。」

                     (2列王記 3:14)

 アハブが死んだとき、それまでイスラエルに服していたモアブが背きました。新しくイスラエルの王になったヨラムは、モアブを打とうとし、ユダの王ヨシャパテに助けを求めました。ヨシャパテはその求めに応じました。ヨシャパテに服していたエドムの王も加わりました。ところが、道が遠く、大軍だったので、水がなくなり、困難に陥りました。ヨラムは「ああ、主がこの3人の王を「呼び集めたのは、モアブの手に渡すためだったのだ」と言いました。情況だけに目を留めたヨラムは、困難に遭うと、否定的な考えに囚われ、落ち込んだのです。しかし信仰の人ヨシャパテは主のみこころを求めました。そしてエリシャに出会い、砂漠に水が溢れモアブに勝つことができる、と告げられます。そのとき、エリシャは、ユダの王ヨシャパテの顔を立てるがゆえに答えるのだ、と言いました。イスラエルの王ヨラムには見向きもしませんでした。すべてはエリシャの告げたとおりになって、次の日の朝、水が流れてきて、連合軍は攻めかかってきたモアブを打ち破り、モアブの各地に大きな打撃を与えました。しかし、モアブの王が王の子をいけにえとしたとき、イスラエルは大きな怒りを感じ、イスラエルのモアブ討伐軍は引き上げました。ヨシャパテのように本当に主を信じる人は、その人がいるからということで周囲の人々も祝福にあづかります。主は、国中が罪にまみれても、主を崇め、真実を求めて生きる者がひとりいたら、その町を赦す、と言ってくださるのです(エレミヤ5:1)。私たちは罪人ですがイエスさまのゆえに主に受け入れていただけるのです。感謝です。


2列王記 4章


「この人たちに与えて食べさせなさい。主はこう仰せられる。『彼らは食べて残すだろう。』」

                     (2列王記 4:43)

 この章では、ある預言者が亡くなり、その遺族が貧しくなって、子どもたちが奴隷にされそうになったとき、エリシャが、彼らに残された一壷の油を増やして、彼らを救ったこと、シュネムの女がエリシャに親切を尽くしてくれるので、エリシャが主に願って彼女に子どもが与えられたこと、その子が死んだとき、エリシャが祈ると、その子が生き返ったこと、飢饉が襲ってきて、エリシャが、弟子たちに煮物を作らせたとき、彼らが集めてきた野生のつる草に毒があったとわかったが、エリシャが麦粉を投げ入れさせると、毒が消えたこと、そして、エリシャのところに大麦のパン20個と一袋の新穀が届けられたとき、それだけでは皆に足りない、という人々に、エリシャが、この人たちに与えて食べさせよ、彼らは食べて残す、と主は言われる、と言ったがそのとおりになったこと、の四つ、あるいは五つの奇跡が語られています。すべて、主は、主を恐れ主に仕える人たちを大事にし、困難が襲ってきても、奇跡を起こしてでも彼らを守り養ってくださることを示しています。主は、主を恐れる者を見捨てられることはないのです。イエスさまも、みことばを聞きに来て腹をすかせた五千人を五つのパンと二匹の魚で養われました(ヨハネ6:1-14)。私たちは、困った状況に陥ると、恐れと不安に取り付かれますが、主は私たちの生活のことも配慮してくださっているのです。目に見える状況に振り回されず、主を信頼しみことばに聞き従うことが肝要だ、と示されます。

2列王記 5章


「私は今、イスラエルのほか、全世界のどこにも神はおられないことを知りました。」

                     (2列王記 5:15)

 アラムの将軍ナアマンは、主君に重んじられ尊敬されていました。しかし、不治の皮膚病ツアラアトに冒されからだがただれていました。イスラエルから連れてこられた奴隷の少女が、イスラエルの預言者のところへ行けば癒される、と言うのを聞き、ナアマンはアラムの王の許しを得てイスラエル王を訪ねました。アラムの王はナアマンのためにイスラエルの王に依頼状を書いてくれました。イスラエルの王は、アラムは難癖をつけるためにこんなことを言ってきた、と言って衣を引き裂きました。預言者エリシャは、王に、ナアマンを自分のところに回しなさい、イスラエルに主の預言者がいることがわかるだろう、と伝えさせました。エリシャを訪ねたナアマンは、エリシャが恭しく呪文を唱えて癒してくれるのだろうと思っていましたが、エリシャは、ヨルダン川に7度、身を浸せ、とだけ伝えさせました。ナアマンは怒りました。彼には神と預言者についての先入観があったのです。エリシャは、そういう人間の思い込みを打ち壊して、ただ主に従う姿勢を育てたかったのでしょう。ナアマンが家来になだめられてエリシャのことばに従ったとき、彼の皮膚病が癒されました。そのとき、彼は、「私は今、イスラエルのほか、全世界のどこにも神はおられないことを知りました」と言いました。ナアマンがこの病にかかったのは、主が、イスラエルの神、主こそ神であることを知らせるためだったのです。ですから、その主の偉大さと恵みを曇らせたゲハジはさばかれたのです。



2列王記 6章


「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」

                     (2列王記 6:16)

 エリシャの預言者学校が手狭になって、建て増しのため、若い者たちがヨルダン川へ木を切り出しに出かけました。その中の一人が借り物の斧の頭を川に落としましたが、彼の叫びを聞いて、エリシャは一本の枝を投げ込み、斧の頭を浮かび上がらせました。どんなに小さいことでも、叫び求めると、主は聞いてくださる、と示されます。アラムの王は、密かにイスラエルを打つ作戦を立てましたがことごとく失敗しました。王が密かに立てる計画をエリシャが察知してイスラエルの王に伝えるからだと知って、エリシャを捕えるために大軍を送りました。エリシャの召使いは、目を覚まして町が囲まれていると知り、慌てました。しかしエリシャは落ち着いて「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多い」と言いました。そして、召使いの目を開いてくださるように、主に祈りました。主が彼の目を開かれ、召使いは、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちているのを見ました。召使いは、目に見える情況を見て慌てましたが、エリシャは主の目をもって事態を見ていたのです。このことを覚え、「主よ、私の目を開き、目に見える世界でなく、あなたと、あなたの御支配とを見せてください」と祈りました。エリシャは、主によって、アラム軍の目をくらまし、サマリヤに案内し、十分に接待して、帰らせました。彼らがサマリヤに侵入してくることはなくなりました。愛をもって力に勝ったのです。後半の記事については、次章で学びます。

2列王記 7章


「王が神の人のところに下って行ったときに、神の人が告げたことばのとおりであった。」

                      (2列王記7:17)

 アラムの軍勢がサマリャを包囲し、マリヤは食べるものがなくなって、自分の子を食べるような悲惨な状態に追い込まれました。イスラエルの王は、神の人エリシャのせいだと言って、彼を殺そうとしました。神のさばきを知って悔い改めるのでなく、かえって激しく反発する人もいるのです。すなおに罪を認めすぐに悔い改めるやわらかい心を与えてくださるよう、主に祈り求めました。エリシャは、自分を殺しに来たイスラエルの王の使いに、大量の食料がとんでもない安値で買えるようになる、と言いました。それを聞いた王の侍従は、そんな馬鹿なことがあるものか、と嘲りました。しかし、そのとき、事態は大きく変わっていたのです。ツアラアトで隔離され、町の門のところにたむろしていた4人の病人が、そこに留まっていれば餓死するだけだが、降伏すれば生き延びられるかも知れない、と思って、包囲軍の陣営に行ってみたのです。すると、そこは衣服や金銀が山のように投げ捨てられた無人の野でした。包囲軍は、大軍の近づく音を聞いたように思い、イスラエルの援軍が来たと勘違いして、大慌てで逃げ出した後だったのです。包囲軍の残した食料がサマリヤの門の広場で、大量に、安値で売られました。それまで飢えに苦しんでいた人々はサマリャの門に殺到しました。町の門の管理を命じられた王の侍従は、群衆に踏みつけられて、死にました。エリシャが彼に語ったとおりになりました。神のことばは侮ることのできない、恐るべきおことばなのです。


2列王記 8章


「彼はアハブの家の者がしたように、イスラエルの王たちの道に歩んだ。アハブの娘が彼の妻だったからである。」

                     (2列王記 8:18)

 エリシャは、先にその子を生き返らせたシュネムの女(4:3以下)のことをいつも気にかけていて、その地に飢饉が来ることを知ると、彼女に他の所へ行くように勧めました。彼女はそのことばに従ってぺリシテ人のところに難を避け、帰ってきたのは、ちょうどエリシャに仕える若者ゲハジが彼女のことを王に話しているところでした。王は彼女の財産をすべて彼女に返してやるように命じました。主は、主の民のことを気にかけてくださるのです。その後エリシャはダマスコを訪ねましたが、アラムの王ベン・ハダドが自分の病気が治るかどうかを聞くために、家臣のハザエルを遣わしてきました。エリシャは、ハザエルに、王には直ると言え、しかし彼は死に、ハザエルがアラムの王になる、と告げました。ハザエルは、帰って、ベン・ハダドを殺してアラムの王になりました。主は以前、エリヤに、エリシャを彼の後継者に、ハザエルをアラムの王に、エフーをイスラエルの王にせよ、と命じられましたが(1列王19:15~16)、ここで、エリヤの後継者になったエリシャが、ハザエルがアラムの王になると告げ、それが実現したのです。主のみことばは必ずそのとおりになります。その頃、ユダではヨシャパテの子ヨラムが王となりましたが、彼はアハブの娘を妻に迎え、その子のアハズヤはアハブ家の婿になって、イスラエルの王たちの道を歩みました。それは、アハブ家に対するさばきに巻き込まれる滅びの道でした。どんな人とくびきを共にするかが問題です。

2列王記 9章


「これは、主がそのしもべテイシュベ人エリヤによって語られたことばのとおりだ。」

                     (2列王記 9:36)

 少し前に、エリヤは、神の山ホレブで、エリシャをエリヤの後継者に、ハザエルをアラムの王に、エフーをイスラエルの王にせよ、との主のおことばを聞きました(1列王19:15,16)。エリヤはエリシャを彼の後継者にしました。前章で、エリシャがハザエルに、あなたはアラムの王になると告げ、そのとおりになったことを学びました。この章では、エリシャが弟子の預言者に命じてエフーをイスラエルの王とするという主のみことばを告げさせたことが記されています。このことを聞いたエフーの仲間の隊長たちは彼を支持し、エフーはヨラムにたいして謀反を起こしました。イスラエル軍のなかにアハブ王朝にたいする不満が行き渡っていたことがわかります。エフーは軍をひきいて王宮に向かいました。ヨラム王とヨラムの病気見舞いに来ていたユダの王アハズヤは、何事かと思って一緒に出かけ、昔、ヨラムの父アハブと母イゼベルがナボテを殺して奪い取ったナボテのぶどう畑でエフーと出会いました。そこでエフーはヨラムを殺し、エリヤが、ナボテを殺して彼のぶどう畑を奪ったアハブに主の報復を告げたみことばが実現しました。アハブの娘を妻にしていたアハズヤも別の所で殺されました。イゼベルに対しても同じ主の報いがありました。すべて主が語られたとおりでした(1列王21:21~23)。主のみことばは必ずそのとおりになります。恐ろしいことです。しかし主が私たちに約束された救いのお約束もそのとおりになるのです。感謝です。


2列王記 10章


「主がエリヤにお告げになったことばのとおりであった。」

                    (2列王記 10:17)

 エフーは、アハブ王朝への謀反がアハブの罪を責め彼の家の滅亡を預言したエリヤのことばどおりになっていくのを見て(9:26,36,37)、アハブの家を滅ぼすことが自分の使命だと受け取ったようです。しかし、そのやり方については、主のみこころをうかがわず、自分の考えで事を進めました。サマリヤにいたアハブの家臣たちに、アハブの子を立てて自分と戦えと脅し、彼に従うという返事を聞くと、アハブの子どもたちの首をイズレエルのエフーのところに持ってくるように命令し、彼らの首を門の傍らに積み上げさせるという残忍さを示しました。彼はそれからサマリヤに向かいましたが、途中で出会ったユダの王アハズヤの身内の者を皆殺しにし、アハブとイゼベルが崇めていたバアルに従う者を皆殺しにしました。自分もバアルを拝むからと欺いて彼らを呼び集め、自分の近衛兵と侍従たちに命じて一人残らず撃ち殺し、バアルの宮を徹底的に破壊しました。主は、エフーの、主を思う熱心さ、を誉め、彼の家は4代にわたってイスラエルの王座に着く、と言われましたが、「しかしエフーは、心を尽くしてイスラエルの神、主の律法に歩もうと心がけることをせず、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪から離れなかった」と聖書記者に記録させられました。「ダビデのように主の前に全く歩んだ」とは言われませんでした。しかし、そのようなエフーの行動をとおしてでも、主のみことばは実現したのです。主のみことばは確かです。しかし、主のみこころを求めるとき、一つ一つの行動にも主お導きを求めたい、と思いました。


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