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工場の花輪3
今週のことば

毎週に一度、一日一章ずつ解説をお届けいたします。

2歴代誌 1章

 

「彼の神、主がともにおられ、彼を並外れて偉大なものとされた。」

                       (2歴代誌 1:1)

 

 ダビデの後をついでイスラエルの王となったソロモンは、イスラエルの指導者たちを連れて、ギブオンにあった神の会見の天幕の前に出、いけにえをささげて、主を礼拝しました。主はソロモンに現れ、「あなたに何を与えようか。願え」と言われました。ソロモンは、「今、知恵と知識を私に授けてください。そうすれば、私はこの民の前に出入りします。さもなければ、だれに、この大いなるあなたの民をさばくことができるでしょうか」と答えました。ソロモンが、富も、財も、名誉も、敵の命も、長寿も求めず、主の民を治めるための知恵と知識を求めたことを主は喜ばれ、「その知恵と知識があなたに授けられる。またわたしは、あなたの前の王にも後の王にもないほどの富と財宝と誉れとをあなたに与える」と言われました。すべてはそのとおりになり、ソロモンはすべての者にまさる知恵をもって国を治め、平和と繁栄に満ちたすばらしい国づくりの成 果をあげました。主が彼とともにおられたからです。1節に、ソロモンの強固な王権も平和と繁栄も、すべて、「彼の神、主が彼とともにおられ」たからだ、と言われているとおりです。しかし、ソロモンが求めたのは使命達成のための知恵であって、主ご自身ではありませんでした。モーセもダビデも主ご自身との親しい交わりを第一に求めていました。主は、ソロモンにも、もう一歩進んで、ダビデ(詩篇16:2)やモーセ(出33:15)のように、主ご自身を求めることを望まれたのではなかったでしょうか。お前は何を求めているか、と問われます。

 

2歴代誌 2章

 

「ソロモンは、主の御名のための宮と自分の王国のための宮殿とを建て

ることを命じた。」

                       (2歴代誌 2:1)

 

 ダビデは主の宮を建てることを願い、ソロモンに主の宮を建てるように命じ、宮建設のための資材、宮の設計図などを準備し、宮建設のための組織、体制を整えていたことが1歴代誌の終わりのところに記されていましたが、この章では、ソロモン自身も主の宮を建てることを決心していた、と語られています。ソロモンは、ツロの王ヒラムに、主の宮建設の決意を示し、そのための資材の提供と人材の派遣とを求めました。その見返りとして莫大な贈り物を約束しました。ヒラムはソロモンの願いを喜び、協力を約し、彼のような賢明な王をイスラエルに与えられた主を賛美しました。ソロモン王の素晴らしいスタートでした。主を愛する父ダビデの主のための願いを引き継ぎ、それを主からの召しと受け取り自分の願いとする姿勢は素晴らしいものです。父の子にたいする願いは、しばしば子にとっては重荷と感じられるものですが、ソロモンは、父の願いを自分の願いとして受け止めなおしたのです。彼は立派に自立していました。主は彼の決心をご覧になってお喜びになったのではないでしょうか。しかし、そのソロモンが主の宮を建てることと、自分の王国の宮殿を建てることとを並列させていることが気になります。主と私を並べるのは自分を第一にする歩みへの入口です。彼が、私が建てる、私の建てる宮は壮大な宮だ、と繰り返し語っていることが気になります。自分ではなく主を第一にし、主のみこころを大事にする思いをお与えください、と祈りました。

 

2歴代誌 3章

 

「ソロモンは、エルサレムのモリヤの山で主の宮の建築を始めた。そこは、主が父ダビデにご自分を現され、ダビデが準備していた場所で、・・・。」

                      (2歴代誌 3:1)

 

 ソロモンは、即位後4年目の2月2日に主の宮建設に取りかかりました。父ダビデによって主の宮を建設するように示され(1歴代誌28:6)、ダビデが備えたものを引き継いだのですが、さらに資材と労働者の確保を進め、またツロの王ヒラムに依頼して資材と人材の提供を受け、十分な準備を整えました。主の宮の建設に当たっては、彼はまず基礎を据えました。堅固な基礎の上に立派な建物が建つのです。その宮はモリヤの山上に建てられました。ダビデはそこで主の御臨在に触れました(1歴代21:18)。そして、そこはまたアブラハムがイサクをささげて主と出会った所でした(創世記22:11)。イスラエルにとって、主との出会いの原点ともいうべき場所でした。信仰生活の土台はイエス・キリストとの出会いの経験です。イエスさまの十字架と復活を信じる信仰の上に私たちの信仰生活は築き上げられます。主の宮は、それほど大きいものではなく、外見もなつめやしの木の彫刻と鎖で飾られただけの簡素なものでしたが、中はすべて金が張り詰められていました。私たちと神さまとを結びつけてくださるイエスさまも外見は貧しい御姿でしたが内実は天来の権威と愛とに満ちた素晴らしい救い主です。このイエスさまは私たちの罪を背負って十字架の上で死なれましたが、三日目に甦って天に上り、やがて栄光のうちに再びおいでになります。私たちは、この主を信じて地上の生活にはげみ、天を仰いで主が再び来られるのを待ち望んでいるのです。

 

2歴代誌 4章

 

「『海』は祭司たちが身を洗うためのものであった。」

                      (2歴代誌 4:6)

 

 この章には、前章に続き、ソロモンが建てた主の宮の様子が記されています。3章では、主の栄光を示すもの、すなわち主の臨在を示す神の箱が置かれる至聖所、その前の祭司が主に礼拝をささげる聖所、神の箱の上に置かれるケルビム、至聖所と聖所とを隔てる幕、神を賛美する2本の柱を作ったことが記されていましたが、4章では、主を礼拝する側に関わる道具類、青銅の祭壇、青銅作りの大きな海、洗盤、神殿の中に置かれる机と燭台、金の鉢、神殿の庭と戸、灰壷、十能と鉢、2本の柱とその飾り物を作ったことが記されています。金の鉢以外はすべて青銅で作られていました。3章の主の御臨在を示す所で用いられるものはすべて金で作られていました。主のなさることと、私たち人間のすることとの違いを示しているようです。主がなさることは最高、金で表現するしかありません。しかし、私たちは力一杯、主に仕えますが、それでもそれは青銅の価値しかありません。そのことをわきまえて謙虚でありたい、と思います。祭司は礼拝のため、宮に入るとまず海と呼ばれる水槽で身を洗いきよめました。そして、祭壇にささげるいけにえを洗盤で洗いきよめました。私たちは、主の恵みを知るとき、感動し、主に仕えたいと思います。しかし、そのままの感動に任せた奉仕は、しばしば、名誉欲や、人目を意識した汚れにまといいつかれたままです。まず、自分自身の罪を悔い改め、イエスさまの血潮によって洗いきよめられることが第一です。それから、主にささげるものもすべて、きよめていただき、きよめられた者がきよい奉仕をするのです。

 

2歴代誌 5章

 

「箱の中には、二枚の板のほかには何もはいっていなかった。」

                     (2歴代誌 5:10)

 

 主の宮が完成したとき、ソロモンは、ダビデが聖別してあったものすべてを主の宮の宝物倉に運び入れ、それから、イスラエルの長老、部族のかしら、一族の長をすべて呼び集め、ダビデの町シオンから、主の契約の箱を、レビ人に担がせて、主の宮に運び入れました。ソロモンと、集まったイスラエルの民は、主の前でいけにえをささげましたが、あまりにも多くて、どのぐらいささげたか数えられませんでした。主の契約の箱は、定めの場所、主の宮の至聖所、ケルビムの翼の下に運び入れられました。その中には、モーセがシナイの山で受けた主の契約を記した2枚の石の板が入っているだけでした。私たちの主は、何らかの形であらわされる御方ではありません。私たちに語られる主のみことばを通してだけ、私たちは主に近づくことができるのです。石の板自体もやがて取り去られました。ただそのみことばだけが今も残って、私たちに語りかけてくださいます。私たちの聖書も同じです。どんなに立派な装丁の聖書でも、その書物じたいではなく、聖書に書き記されているみことばが私たちを主に結びつけ生かすのです(詩篇119:50)。主の契約の箱が主の宮に運びいれられたとき、祭司たちは皆、その身をきよめ、アサフとヘマンとエドトンに率いられた聖歌隊は、祭壇の東側に立ち、まるでひとりであるかのように一致して、主を賛美しました。そのとき、主の宮に雲が満ちあふれました。主のご臨在が現れたのです。私たちも、みことばを聞き、御霊によって一つとされてみ前に出るとき、主のご臨在を経験するのです。

 

2歴代誌 6章

 

「あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この場所に向かってささ

げる願いを聞いてください。」

                     (2歴代誌 6:21)

 

 ソロモンが主の宮に主の契約の箱を運び入れ主を礼拝したとき、主の雲が宮に満ちあふれました。そのときソロモンは主を賛美しイスラエルの全集団を祝福して言いました。主はダビデに語って言われた、主はエルサレムを選んで、そこに主の名を置き、ダビデを立ててイスラエルの王とされた、ダビデは主の宮を建てたいと願ったのは良いことだ、しかし、主の宮を建てるのはダビデの子だ、主がその御約束を果たされた、私ソロモンがダビデの後をついでイスラエルの王とされ、私が宮を建てた、と。こう語り終えて、ソロモンはイスラエルの全集団の前で主に祈りました。主は天地の主であり、ダビデに約束されたことをことごとく成し遂げ、彼の子孫が主の道を守るならダビデの王座は永遠に続くと仰せられました、そのおことばを確立してください、天地のどこにも主をお入れすることはできません、しかし主よ、この宮にはあなたの名が置かれています、私たちがこの宮に向かって祈るときその祈りを聞いてください、罪を犯したときも、悔い改めてあなたに向かって祈るなら、その祈りを聞いてください、災いの中で祈ってもその祈りを聞いてください。敵に捕らわれ捕囚の地で祈ってもその祈りを聞いてください、外国人でもこの宮に来て祈る人の祈りを聞いてください、と祈りました。主は今エルサレムの主の宮だけでなく世界中どこででも、イエスさまの御名による祈りを聞いてくださいます。感謝です。私たちは、どんなことについても主の御名によって祈ります。

 

2歴代誌 7章

 

「わたしはあなたの祈りを聞き、この場所をわたしにいけにえを献げる宮として選んだ。」

                     (2歴代誌 7:12)

 

 ソロモンが主の宮を建て終わり、礼拝をささげ、祈り終わると、火が天から下ってきて、ささげられていたいけにえを焼き尽くしました。そして主の栄光が宮に満ち溢れました。主は答えられたのです。イスラエルは顔を地につけ伏し拝みました。主の御臨在にふれるとき人は恐れます。それから賛美が湧き上がります。イスラエルも賛美をささげました。その夜、主は個人的にソロモンに現れて彼に語られました。「わたしはあなたの祈りを聞き、この場所をわたしにいけにえを献げる宮として選んだ」と仰せられ、続けて、民が主に祈る祈りを聞く、たとえ災いが彼らに臨んでも、彼らがへりくだって、主を求め、主に祈るなら、主は彼らの祈りを聞く、あなたが父ダビデが歩んだように主の御前を歩み、主が命じたことを実行し、主のおきてと定めとを守るなら、ダビデの子孫からイスラエルの王となる者が絶えることはない、ダビデの王座は確立される、と言われました。そして、彼らが罪を犯した場合でも、彼らが悔い改めて主に立ち返り、主に祈るなら、その祈りを聞く、しかし彼らが背いて他の神々に仕え、これを拝むなら、彼らを滅ぼし根絶やしにする、この宮も荒れ果て、見る者が、どういうわけで主はこういう仕打ちをされたのか、と驚くようになる、そのとき、それは彼らがエジプトから彼らを連れ出された主を捨てたからだと人々は言うだろう、と仰せになりました。主は私たちの祈りを聞いてくださる御方です。私たちも主に聞き、主に応え、主に従います。

 

2歴代誌 8章

 

「ソロモンの工事全体は、主の宮の礎を据える日から完成まで確かに遂行され、主の宮は完成した。」

                     (2歴代誌 8:16)

 

 ソロモンは、先にツロの王ヒラムにガリラヤの町々を与えましたが、それは彼の気に入りませんでした(1列王9:11,12)。その町々をヒラムが返してきたので、ソロモンはその町々を建て直しそこにイスラエル人を住まわせました。それから、彼は、ハマテ・ツオバを打ち、その付近の町々に倉庫の町を建て、エルサレムの近くにも、上べテ・ホロン、下べテ・ホロンなど防備の町々を建て、戦車の町々や騎兵の町々などを建てました。強大な武力を備えて国を守る体勢を整え、土木事業を興しインフラ整備を進めていったのです。ソロモンの下では、戦争とは違って、多くの人命が失われることはありませんでしたが、大勢の労働者が駆り出され、民の負担は大きく、国民は大建設事業で疲れたようです(10:4)。ソロモンはイスラエルの苦役を軽くするために、イスラエル国内に残っていた先住民を労役に徴用しました。イスラエル人は戦士とし、また役人にしました。さらに、この大事業を進めるのに、社会の仕組みを整備しました。賢明なやり方のようでしたが、人々は主のみ心を求め、自由に生きるのでなく、組織に従って行動するようになり、またイスラエル社会の階級化が進みました。この間、ソロモンに主のみ旨を求めた気配が感じられないことが気がかりです。彼は、形式的には敬虔を示しましたが、本心は自分の事業を進めることに向いていたようです。「主よ。自分の事業を進めるのではなく、あなたの御業にあづからせてください。」と祈りました。

 

2歴代誌 9章

 

「なんと幸せなことでしょう。あなたにつく人たちは。」

                      (2歴代誌 9:7)

 

 ソロモンは主から知恵を与えられ、見事な国づくりをしていました。その名声を聞いてシェバの女王が遠路はるばるやって来ました。そして、ソロモンに会い、彼の話しを聞き、彼の建てた宮殿とその家臣たちの立ち居振舞いを見て、驚嘆しました。そして、聞いていたうわさは半分も事実を伝えていない、ソロモンは聞いていたよりもはるかに勝る、と言い、「なんと幸せなことでしょう。あなたにつく人たちは。なんと幸せなことでしょう」と賛嘆の声を上げました。ソロモンは、大きな力と富を持っていましたし、さらに、毎年、国際貿易などで豊かに富を増し加えていました。国際的な摩擦が生じても、それに対抗できるだけの十分な外交力と軍事力も持っていました。シェバの女王も国を治める立場にあり、国づくりの難しさを痛感していたでしょうから、ソロモンの国づくりの成果を見て、驚嘆し、尊敬を覚えて、彼を誉めそやしたのです。しかし、シェバの女王は、目に見えるソロモンの業績と彼の知恵に驚嘆しただけで、その奥にあった、目に見えない主との関わりの世界は彼女の理解を超えていました。本当にすばらしいのは、聞いて分かる知恵と目に見えるその実ではなく、それを与えられる主との関わりです。その点でソロモンはどうだったのでしょうか。それは、実は、イエスさまによって与えられるものなのです。イエスさまは「しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさるものがあります」と言われました(ルカ11:31)。主を知らせていただいたことを感謝し、主に目を留めよ、と示されます。

 

2歴代誌 10章

 

「王は民の願いを聞き入れなかった。神がそうしむけられたからである。それは、かつてシロ人アヒヤを通してネバテの子ヤロブアムに告げられたことばを主が実現されるためであった。」

                    (2歴代誌 10:15)

 

 この章では、記録されていない事実からの語りかけを聞きます。アヒヤの預言はここでは明示されていません。ソロモンが死に、レハブアムが王になり、彼が民の要求を退けたので、イスラエルの民が離れて行き、ユダ部族だけがレハブアムの下に残ったことだけ記されています。それは、ソロモンが多くの妻たちに引かれて偶像礼拝に陥り主の怒りを買ったからであり、主はアヒヤを通してヤロブアムにイスラエル10部族を与え、ダビデ王朝にはユダだけが残ると告げられたのですが(1列王記11章)、それらのことはすべて省略されています。しかし著者はそれを無視したのではなく、イスラエルの歴史をよく知っていたバビロン捕囚からの帰還民には、沈黙からの語りかけがより深く心に響くと考えたからではないでしょうか。また、レハブアムが、ソロモン時代から彼に仕えた長老たちの、民に優しくし税を軽くしてやれ、と言う助言を退け、坊ちゃん育ちで生意気な若者たちの、あなたは父ソロモン以上の王だからソロモン以上に厳しく民を扱え、というおだてに乗って、民の離反を招いたいきさつを記しながら、レハブアムが主に聞こうとしなかったことには触れていません。こういう大事なことはまず主に聞くべきではないでしょうか。目に見えるところにとどまらず隠された主の世界に目をむけること、語られたことばの奥の主のご本心に心を留めることも大事だ、と示されます。

 

2歴代誌 11章

 

「彼らは3年の間、ユダの王権を強固にし、ソロモンの子レハブアムに力添えをした。三年の間、彼らがダビデとソロモンの道に歩んだからである。」

                    (2歴代誌 11:17)

 

 命からがらエルサレムに逃げ帰ったレハブアムはすぐ、18万の大軍を催し、ヤロブアムからソロモンの王国を取り戻そうと出陣しました。そのとき、神の人シェマヤに主のことばが臨み、彼はレハブアムとユダの軍勢に、戦ってはならない、家に帰れ、と呼びかけました。彼らは、主のことばに従いました。レハブアムは、ヤロブアムと戦う道を捨て、ユダとベニヤミンの地域てを固めました。そのレハブアムのもとにイスラエルからレビ人たちが移り住んで来ました。彼らは自分たちの相続地を捨てるという大きな犠牲を払って、偶像礼拝に陥ったイスラエルを離れ、主を礼拝するユダに来たのです。しかし、イスラエルの王ヤロブアムがレビ人以外の普通の人間を祭司にしたので彼らの特権的な地位が失われ、それでレビ人が大事にされるユダに来たという面もあったようです。さらにイスラエルから、主を恐れる人たちが続々とユダに移って来ました。しかし、彼らが熱心に主に仕えたのは3年間だけでした。彼らは、確かに主を恐れ、主に従おうと思っていました。そのために犠牲を払うこともいといませんでした。しかし、同時に自分の都合を考える側面もありました。彼らは信仰熱心でしたが、純粋ではありませんでした。彼らの熱心さは3年しか続きませんでした。これが人間の現実です。最後まで信じぬく信仰は主の賜物です。人間的な信仰熱心でなく、主による信仰を育ててください、と祈りました。

 

2歴代誌 12章

 

「彼は悪事を行った。心を定めて常に主を求めることをしなかったのである。」

                    (2歴代誌 12:14)

 

 レハブアムは王でしたが、国民の先頭に立って民を導くというより民に引っ張られる人だったようです。イスラエル十部族に民の負担を軽くするように求められると、お気に入りの若者に引きずられて強い態度に出、イスラエルに背かれてイスラエルを打とうと軍を催しましたが、神の人シェマヤのことばによって軍を引きました。しかし、そのときも、自分から神のことばに従ったというより、シェマヤのことばを聞いたユダの民が家に帰ったので、民に引きずられて自分も従ったということのようです。その後、国を建て直すのに努力したとき、全イスラエルからレビ人が彼のもとに集まり、また主を求める人たちも集まってきたので、彼も主に従いました。しかし王権が確立すると彼は主の律法を捨て去りました。それで、主の怒りを招き、エジプトの王シシャクに攻め込まれ、エルサレムまで危うくなりました。そのとき、預言者シェマヤがレハブアムとユダのリーダーたちのもとに来て、彼らが主を捨てたので主もまた彼らを捨ててシシャクの手に渡したのだ、と告げました。イスラエルは悔い改め、シシャクに多くの財宝を奪われましたが、完全な滅亡は免れました。主の憐れみでした。そのときもレハブアムは民の悔い改めに従っただけで、自分自身が本心から悔い改めたのではなかったようです。彼はダビデのように自分が本心から心を定めて主を求める人ではありませんでした。「表面上の服従でなく心から主を求める者にしてください。」と祈りました。

 

2歴代誌 13章

 

「しかし、私たちにとっては、主が私たちの神であり、この方を捨てなかった。また主に仕える祭司たちはアロンの子らであり、レビ人も務めを果たしている。」

                     (2歴代誌13:10)

 

 レハブアムが死んで彼の子アビヤがユダの王になりました。彼は精鋭40万を率いて、イスラエルのヤロブアムに戦いを挑みました。主はダビデの子に王座を約束されたのに、ヤロブアムがならず者を集めて反逆し、イスラエルを建てたからだ、と言いました。彼は、父レハブアムは弱くヤロブアムが力を増し加えた現実を認め、しかし、イスラエルは主を捨て、一般の人が祭司職についているが、ユダは主を捨てなかった、アロンの子たちが祭司職につき、レビ人が務めを果たして、正しく主を礼拝し、主の律法を守っている、だからイスラエルに勝ち目はない、と演説しました。その間にユダの2倍の兵を動員していたヤロブアムはユダの背後に伏兵を送り、挟み撃ちにしようとしました。兵力でも、戦略的にも、イスラエルの方に歩がありました。しかし、ユダは主に求め、祭司たちはラッパを吹き鳴らし、兵は一斉にときの声を上げて、敵陣に攻め込み、勝利を得ました。主が勝利を得させられたのです。アビヤはその演説で、宗教的な純粋さ、整った礼拝、主への服従を誇っていますが、ダビデのように、心から主に従う信仰の告白や主との深い人格的交わりから湧き溢れる喜びの賛美は感じられません。それでも、彼は主に従うことを堅く決意して歩んでいましたし、危急の時には主に叫び求める信仰をもっていました。主はそんなアビヤに目を留めてくださいまました。私も、不十分でも、今あるまま、主を仰いで歩みます。

 

2歴代誌 14章

 

「アサは自分の神、主を呼び求めて言った。『主よ、力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたには変わりはありません。』」                (2歴代誌 14:11)

 

 アビヤが死んでその子アサがユダの王となりました。アビヤの子とされていますが、母はマアカでしたから、アビヤの弟だったようです(1列王15:2、10)。彼はアビヤにならって、主を重んじ、偶像を捨て、国民に主を求めさせ主の律法を守らせました。国の宗教的純潔と一致を求めたのです。それから、防備の町々を建て、国防を強固にしました。その結果、アサの下でユダは平和を得ました。国民の一致がその国の平和と反映の基礎であることは何時の世でも変わりはありません。それでも大きな国難というものは襲ってきます。アサの治世が確立したとき、エジプトから100万の大軍が攻め寄せてきました。大軍を率いてきたのはクシュ人ゼラフと言われていますから、ナイル川上流のエチオピアからエジプトに勢力を張っていた人物なのでしょう。アサは国を強固にしていましたが、攻め寄せてきたのは、アサの全兵力の倍にも達する大軍です。そのとき、アサはその神、主に叫び求めました。「主よ、力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたには変わりはありません。私たちの神、主よ、私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に向かって来ました」と。苦難に直面してアサの信仰は引き上げられたようです。苦難はそれ自体としては好ましいものではありませんが、それによって表面的な信仰が真の信仰に引き上げられるチャンスでもあります。苦難にあったときは恐れず、主に叫び求めよう、と思いました。

 

2歴代誌 15章

 

「あなたがたが主とともにいる間は、主はあなたがたとともにおられます。」

                     (2歴代誌 15:2)

 

 アサがクシュ人を打ち破り、多くの戦利品を携えて凱旋したとき、アザルヤがアサとユダの民に主のことばを伝えました。イスラエルには長い間、まことの神がなく、教師も祭司もなく、律法もなかった、そのため国は乱れた、神を崇めよ、と。アサは、直ちに応え、ユダ全土から偶像を一掃し、主の宮の祭壇を作り直し、エルサレムで大きな祭りを開いて、力いっぱいのいけにえをささげ、民たちに、心を尽くし、精神を尽くして、主を求めること、主を求めない者は除かれる、という契約を結ばせました。その実は、「ユダの人々はみなその誓いを喜んだ。それは、彼らが心のすべてをもって誓いを立て、ただ一筋に主を慕い求め、そして主がご自身を彼らに示されたからである。主は周囲の者から守って彼らに安息を与えられた」ことでした。主はいつも私たちを愛してくださっていますが、その愛を実際に体験し喜べるかどうかは私たちの主に対する態度にかかっているのです。主に心を向けたアサとユダの民は喜び、主もまた彼らを喜ばれました。アサは偶像に心を寄せる王母をその位から退けるほど熱心に主を敬いました。このアサの下でユダは20年間、平和を楽しみました。しかし、熱心さはしばしば熱心を示す行いに目が移り主ご自身から目をそらす失敗に陥り易いものです。宗教行事に熱心でも、主ご自身から目をそらすと、主に捨てられます。主が彼らを捨てられるのではなく、彼らが主を見失い主から離れるのです。信仰の業よりも主ご自身を慕い求めたいと思います。

 

2歴代誌 16章

 

「アサはこの予見者にたいして怒りを発し、彼に牢獄につないだ。彼に対して、このことで激しい怒りを抱いたのである。」

                    (2歴代誌 16:10)

 

 アサが クシュ人ゼラフに勝利し、主に礼拝をささげ、ユダ全国に宗教改革を進めてから20年の間、ユダは平和でした。民の生活は安定し、国は力を貯えてきました。しかし、アサの治世36年目にイスラエルの王バアシャがユダとの国境付近に防備の町を建て、ユダとの出入りができないようにしました。明らかな敵対行為でした。そのときアサは、ゼラフに攻められたときのように、主に叫び求めませんでした。すでに相当の力をつけていたので、自分の知恵と力で、対抗策を考えたのです。イスラエルの背後の国、アラムに贈り物をし、彼らにイスラエルを攻めてもらうようにしました。アラムはそれに応じ、イスラエルに略奪隊を送りました。イスラエルはアラムに備えなければならず、ユダと戦うゆとりはなくなりました。防備の町の建設工事は中止されました。アサは彼らが放棄した材料を奪い取って、反対に、彼らに対抗するための防備の町を立てました。人間的には大成功でした。しかし、そのとき、彼は主に頼る姿勢を捨て、自分の知恵や力に頼る道を歩んでいたのです。主は彼にそのことを悟らせ、悔い改めさせようとされました。予見者ハナニを遣わして彼を責められたのです。そのとき、あの信仰深かったアサが、怒ってその予見者を捕え、牢獄につなぎました。その姿勢は足の病気に罹ったときも変わりませんでした。最後まで信仰に立つのは難しいことです。主よ。常に変わらず、死にいたるで、ただあなたに頼る者としてください。と祈りました。

 

 

2歴代誌 17章

 

「彼の心は主の道を大いに誇りとし、彼はさらに、高き所とアシェラ像をユダから取り除いた。」

                     (2歴代誌 17:6)

 

 アサが死んで彼の子ヨシャファテがユダの王になりました。アサも良い王でしたが、ヨシャファテも主を敬う立派な王でした。彼の下でユダはイスラエルに対して力を増し加えました。それは主とヨシャファテとの関わりから来ていました。主はヨシャファテとともにいてくださり、ヨシャファテは先祖ダビデの道に歩み、偶像に心を向けず、主に求め、その命令に従って歩みました。そして、国民の律法教育を推し進めました。ヨシャファテによってユダ王国は堅くされました。ユダの国民は彼に心服し、多くのものを彼に贈り、富と誉れをささげました。そして彼の主を恐れる統治はますます成長し確かなものとなっていきました。聖書記者はそのことを、「彼の心は主の道を大いに誇りとし、彼はさらに、高き所とアシェラ像をユダから取り除いた」と記しています。ヨシャファテは、よき信仰を持ち、国を治める仕事に励むだけでなく、日々、成長していました。そういうヨシャファテとその指導下にあったユダの歩みを見て、ペリシテ人やアラビヤ人も多くの贈り物を携えて来ました。ユダの国際的地位は高まりました。国内的にも、多くの建設工事が進み、強大な軍隊が編制され、ユダは立派な国になりました。私たちも、信じて救われるだけでなく、クリスチャンとして成長することが大切です。その基礎は、主との個人的な全人格的交わりの成長です。「朝ごとに、あなたを待ち望みます。みことばをください。信仰を育て、生活をきよめ、整えてください」と祈りました。

 

2歴代誌 18章

 

「ヨシャファテには富と誉れとが豊かに与えられたが、彼はアハブと姻戚関係に入った。」

                     (2歴代誌 18:1)

 

 ヨシャファテは、主の恵みを受け、主を求め、主のご命令に従う立派な王でした。そして、彼の王国は主によって堅く建てられていきました。彼はますます主の道に励みました。素晴らしい歩みでしたが、そのヨシャファテがイスラエルの王アハブと縁を結びました。強大な隣国と友好関係を結ぶ。外交政策としては賢明な策でし。しかし、信仰的には偶像礼拝者につながり、災いを招く危険な道でした。そのため、ヨシャファテは幾つかの災いを身に招くことになりました。アハブのアラムとの戦いに引きずり込まれ、命の危険に遭いました。誰と手を結ぶかに注意せよ、事業でも、結婚でも、友を選ぶ場合でも、どういう人と手を結ぶかに注意せよ、と主が語ってくださっている、と受け止めました。アハブはアラムに奪われていたラモテ・ギルアデを取り返そうとし、ヨシャファテの力を借りて出陣しました。そのとき、信仰者ヨシャファテの求めに応じて、預言者のことばを求めましたが、アハブの御用預言者は彼の勝利を預言しました。ヨシャファテは彼らの預言を信用せず、主の預言者のことばを求め、ミカヤの預言を聞きました。それはアハブの死を預言するものでしたが、アハブが出陣したので、ヨシャパテも従わざるを得ませんでした。アハブは、ヨシャパテには王の服装をさせ、自分は変装して戦いに臨みました。それでも、アハブは何気なく放たれた敵の矢に当たって死に、ヨシャファテは無事に帰国しました。主のみことばは必ず成就します。主は恐るべき御方です。

 

2歴代誌 19章

 

「あなたがたは自分のすることに注意しなさい。あなたがたがさばくのは、人のためではなく、主のためだからだ。この方は、さばきが行われるとき、あなたがたとともにおられる。」

                     (2歴代誌 19:6)

 

 ヨシャファテは主を恐れる立派な王でしたが、偶像に心を寄せるアハブと組んだためにアハブとアラムとの戦いに巻き込まれ、危うく命を失うところでした。しかし、ヨシャファテが主に叫んだとき、主は敵に向きを変えさせ、アハブは死にましたが、ヨシャファテは無事ユダに帰ってきました。そのとき、先見者エフーがヨシャファテの前に出てきて、彼の間違いを指摘しました。しかし、同時に、彼の信仰を評価しました。エフーを遣わされたのは主だったのです。ヨシャファテの間違いを正し、良いところを誉め、主を恐れるユダの王として育てようとされる主の御愛が感じられます。ヨシャファテは、失敗に落ち込んでしまわないで、悔い改め、ユダの王として、民を主の民として建て上げることに励みました。イスラエルのうちのユダの影響下にある民にも同じように働きかけました。ヨシャファテは国の隅々まで出かけて行って、民を主に立ち返らせ、町ごとにリーダーを任命し、エルサレムでは、レビ人と祭司を組織化し、民の訴訟をつかさどるリーダーを任命しました。ヨシャファテは彼らに、自分のために心を向けてえこひいきをしたり、賄賂を取ったりせず、主に対してつとめを全うするように命じ、励ましました。人にどう見られるかではなく、主を前にして、主の正しいさばきを行え、と言ったのです。私にも、人を相手に生きるのではなく主を前に置いて生きよ、と主が言われている、と聞きました。

 

2歴代誌 20章

 

「この戦いは、あなたがたが戦うのではない。堅く立って、あなたがたともにおられる主の救いを見よ。」

                    (2歴代誌 20:17)

 

 ヨシャファテがユダの民を信仰に立たせ、国を固めた後、モアブ人、アモン人、エドム人の連合軍がユダに攻め上ってきました。ユダには迎え撃つ力がありませんでした。そのとき、ユダの人々は主の助けを求め、ヨシャファテは主に祈りました。敵がどんな大軍でも、あなたはそれに勝る御方です、と告白し、アブラハムの子孫にこの地を賜ったのは主です、イスラエルの先祖はモアブ人、アンモン人、エドム人の地を侵さなかったのに、彼らは今ユダをこの地から追い払おうとしています、と訴え、この宮に向かって祈ったことは聞いてくださる、というソロモンのことばに基いて主の救いを祈り求めました。そのとき、主は、ヤハジエルを通して、ヨシャファテとユダの人々に、恐れるな、この戦いはお前たちの戦いではない、主の戦いだ、お前たちは堅く立って、あなたがたおっともにおられる主の救いを見よ、と語られました。ヨシャファテは、主に礼拝をささげ、主の御告げに従って出陣しました。聖歌隊を先頭に立てて出陣しました。その聖歌隊が賛美をささげると、そのとき、突如、敵陣の背後から伏兵が敵に襲いかかり、敵は同士討ちを始め、ユダは戦わず、散乱した分捕り物を集めて凱旋しました。正に彼らは立っていただけ、主が戦われたのです。主は、主を信頼して堅く立つ者とともにいて、勝利を得させてくださるのです。しかしこのヨシャファテでさえ失敗を重ねることがありました。しっかり立とうとがんばるよりも、悔い改め信じなおす素直さが大切だ、と示されます。

 

2歴代誌 21章

 

「アハブの娘が彼の妻だったからである。」

                     (2歴代誌 21:6)

 

 ヨシャファテは信仰深い立派な王でしたが、彼が死ぬと、その子ヨラムがユダの王になりました。彼はアハブ家の娘を妻に迎えていました。彼女はアハブ家、特に母イゼベルの影響を受け、主を恐れず偶像を拝んで育ちました。主を信じなかった彼女は人をも信じることができませんでした。ですから、夫ヨラムがユダの王となったとき、彼の兄弟たちが、彼の王座をうかがうかもしれないと疑い、ヨラムをそそのかして、すべて殺してしまいました。ヨラムが勢力を手にしたとき彼らを一人残らず剣にかけて殺した、と記されていることの背景はこうだったのではないでしょうか。このような人を信じない姿勢は周りの人との関係をも崩します。それまでユダに従っていたエドムが背きました。ヨラムは、何とかエドム軍を打ち破りましたが、彼らは結局ユダから離れてしまいました。こんなヨラムでしたが、主はなおもダビデとの契約の故に、ダビデの家を滅ぼすことを望まず、預言者エリヤの手紙を通じて、彼へのさばきを告げられました。悔い改めへの招きでした。エリヤの手紙とは意外ですが、彼は、ヨラム治世の初期にはまだ預言者として活動していましたから(2列王1:17)、このときは、高齢化のため、直接出向くことが難しくなり、手紙にしたのでしょうか。その預言のとおり、ペリシテ人とアラビヤ人がユダに攻め込み、彼の子どもたちが、アハズヤを除いて、皆殺しにされ、ヨラムは内臓がはみ出る病気で死にました。だれにも愛されなかった人生でした。不信仰者と結び、不信仰の道に歩むことの恐ろしさを覚えます。

 

2歴代誌 22章

 

「アハズヤがヨラムのもとに行って滅びたのは、神から出たことであった。」

                   (2歴代誌 22:7)

 

 ユダの王ヨラムが死んだとき、ヨラムの男の子でただ一人生き残ったアハズヤがエルサレムの住民によってユダの王とされました。彼の母アタリヤはアハブの娘でした。アハブは主に背を向け、暴虐の道を歩んだイスラエルの王でした。主はエリヤによってアハブの不信仰と暴虐を責め、彼とその家の滅びを告げられました(1列王21:21)。アハブは、ミカヤの預言に逆らい、彼の御用預言者の語ったことばに従って、アラムとの戦いに臨み、変装して戦場に出たのに、何気なく放たれた敵の矢を受けて死にました(18章)。その子ヨラムがイスラエルの王となり、12年後、彼もまたアラムと戦い、負傷したので、治療のために都イズレエルに帰っていたとき、エフーの謀反があって、ヨラムはエフーに射殺されました。そのとき、ユダの王アハズヤがイスラエルの王ヨラムの見舞いにイズレエルに来ていて、彼もまたエフーに殺されました(22章)。アハズヤはユダの王ヨラムとアハブの娘アタルヤとの息子でした。こうしてアハブとその家にたいするさばきは完全に実行されました。主のさばきは必ず行われます。主は恐るべき御方です。しかし、アハブの罪を引きずっていたにもかかわらず、アハズヤの子ヨアシュは生き延びました。ダビデに免じてのことでした(21:7)。私たちも滅ぼされるべき罪人ですが、ただイエスさまのゆえに救われているのです。この計り知れない主の恵みに感動し、自分自身をイエスさまのものとしてお委ねするほかありません。

 

2歴代誌 23章

 

「見よ。主がダビデの子孫について約束されたとおり、王の子が王となる。」

                     (2歴代誌 23:3)

 

 ユダの王アハズヤが死んだとき、彼の母アタルヤがユダの王族を皆殺しにしてユダの王座を自分のものにしました。そのとき、生まれて間もないヨアシュをエホシェバが主の宮に隠し、彼女の夫で祭司だったエホヤダとともにヨアシュを育てました。それから7年たったとき、祭司エホヤダは奮い立って、ユダの百人隊長数人をまねき、彼らと契約を結び、ヨアシュをユダの王としました。先王ヨラムの子どもたちの皆殺しをはかるような恐ろしい女王アタルヤへの反逆ですから、大きな決断が必要でした。正に文字どおり、彼は「奮い立った」のです。そして、綿密な準備を整えて、革命を起こしました。その頃、アタルヤの暴政にたいする民の反感も膨れ上がってきていたのでしょう。革命は成功し、アタルヤを殺しても、民は喜び、騒ぎは起こりませんでした。この革命を成功させた最大の根拠は、エホヤダがユダの人々に、ダビデの子孫がユダの王座に着くという主のお約束を思い出させたことでした。主のみことばに基く主のみこころにしっかり立つことが私たちの歩みを確かなものとするのです。それから、エホヤダは、ユダの民に主の民となる契約を結ばせ、バアルの偶像を打ち砕き、主を礼拝するためにレビ人たちを整えました。私たちも、イエスさまを信じ、洗礼を受けて、神の民となる契約を結び、悔い改めて、偶像を捨て、罪を離れ、身をささげて主を礼拝します。信じるのは瞬間ですが、罪との戦い、そして主と交わり主を知る歩みは長く続く歩みです。

 

2歴代誌 24章

 

「ヨアシュは、祭司エホヤダの生きている間は、主の目にかなうことを行った。」

                     (2歴代誌 24:2)

 

 主が、エフーによってイスラエルの王アハブの家を滅ぼされたとき、アハブの血を引いていたヨアシュも死んでも不思議ではなかったのですが、彼はダビデの血を引くユダ王家でただ一人生き残った幼子だったので、人目につかないように主の宮にかくまわれ、祭司エホヤダに育てられました。ダビデに免じてのことでした。主はダビデの子孫を代々ユダの王とすると約束してくださっていたのです。エホヤダは立派な人でしたから、ヨアシュをユダの王にふさわしい主を恐れる者とする教育に一生懸命、励んだようです。それで、ヨアシュはエホヤダが生きている間は主の目にかなうことを行いました。主の宮を修復することには主に仕える祭司やレビ人以上に熱心でした。しかし、エホヤダが死ぬと、ユダのつかさたちが来て、ヨアシュに取り入り、主だけに従うというような狭い考えでなく、偶像を拝んでいるイスラエルともうまくやっていった方が良い、というような考えを吹き込んだのでしょう、ヨアシュは、偶像を拝むようになりました。エホヤダの教育で抑えられていた罪人の本性が現れてきたのです。それは、エホヤダの子ザカリヤが諌めても彼を殺してしまうほどの激しさでした。主から離れたヨアシュは民の支持を失い、家臣に殺されました。教育は知識や行動の規範は教えることはできますが、人を内から変え主第一の生活を生み出すことができるのは御霊だけです。「教育による信仰的装いではなく、内から造り変えてください。御霊様」と祈りました。

 

2歴代誌 25章

 

「しかし、アマツヤは聞き入れなかった。それは神から出たことであって、・・・。」

                    (2歴代誌 25:20)

 

 ヨアシュが死に、その子アマツヤがユダの王となりました。彼は父ヨアシュにならい形のうえでは主の定めを守りましたが、本心から主を恐れ主を愛し主のみこころを求める人ではありませんでした。父を殺した反逆人を殺しましたが、主の律法に従って、その子どもたちには手を加えませんでした。表面的な信仰でも、本心までは見えませんから、国民の信頼は得られたようで、彼の政事(まつりごと)は成功し、強大な軍隊を整備することもできました。彼は、その軍隊を率いて、反乱を起こしたエドムを打とうとしましたが、イスラエルからも傭兵を雇っていました。そのとき、神の人が、不信仰なイスラエルと手を結ぶのは良くない、イスラエル兵は帰せ、と言いました。彼はそれに従い、ユダ独力でエドムに対して勝利を得ました。しかし、成功したときが危険だ、と言われているとおり、彼はエドムの偶像を持ち帰り、それを拝みました。主が預言者によってその罪を責められると、その預言者を脅迫して退けました。不信仰は傲慢を生みます。彼はユダより強大なイスラエルの王との縁組を望み、格が違うと断られて腹を立て、イスラエルに戦いを挑みました。イスラエルの王は、彼をたしなめましたが、彼は聞かず、結局、大敗し、生き延びることはできましたが、失意の後半生を過ごさなければなりませんでした。主の警告を聞かない強情は滅びを招きます。「自分の思いに執着する強情さから解き放ち、主のご警告に従う素直さを与えてください」と祈りました。

 

2歴代誌 26章

 

「神を認めることを教えたゼカリヤが生きていた間、彼は神を求めた。また彼が主を求めていた間、神は彼を栄えるようにされた。」

                     (2歴代誌 26:5)

 

 アマツヤが死んで、彼の子ウジヤがユダの王になりました。彼の統治は52年の長きにわたりました。彼は、父アマツヤと同じように、かたちの上では主の目に適うことを行いました。また祖父ヨアシュがエホヤダが生きている間は主の目にかなうことを行ったように(24:2)、神を認めることを教えたゼカリヤの存命中は神を求めました。主はウジヤを祝福し、彼によって、ユダを強大な国にされました。ウジヤは、エドムからエイラトを取り戻し、ペリシテ人やアラビヤ人に勝利し、アンモン人を従わせました。エルサレムの防備を硬くし、水溜めを掘り、牧畜を進め、農業を推進しました。そして、強大な軍事力を備え、軍制を整備し、新兵器まで備えました。ユダは強大になり、国民は平和と繁栄を手にしました。王としては、立派な成果を上げました。しかし、成功したときが危険です。彼は高ぶり、王としての権力だけでは満足せず、宗教上の力も求めました。イスラエルでは、王が国を治めましたが、主を礼拝することには祭司、レビ人が当っていました。それなのに、ウジヤは自分が主の神殿に入って、自ら香を焚こうとしました。政治的支配者であるだけでなく、宗教的指導者をも兼ねようとしたのです。そのとき、祭司アザルヤが彼をたしなめ、聞こうとしない彼を主が打たれました。彼は、ツアアラアトすなわち悪性の皮膚病にかかり、汚れた者となり、主の前から退けられました。恐ろしいのは高ぶりです。「へりくだって主を恐れることを教えてください」と祈りました。

 

2歴代誌 27章

 

「ヨタムは勢力を増し加えた。彼が、自分の神、主の前に、自分の道を確かなものとしたからである。」

                     (2歴代誌 27:6)

 

 ウジヤが死に、その後を彼の子ヨタムが継ぎました。ウジヤは晩年ツアアラアト、つまり悪性の皮膚病を病み、隔離されたいたので、ヨタムは、ウジヤの生前中から、いわば摂政としてまつりごとに当たっていたので(26:21)、彼の王としてのつとめは在位の16年を超えていました。彼は父ウジヤにならい、主の目にかなうことを行いました。しかし、ウジヤのように高ぶって宗教的権威をもうかがうようなことはしませんでした。謙遜で誠実な彼の統治は、父ウジヤのそれに続いて、立派な成果を上げました。主の宮の上の門を建て、城壁を堅固にし、山地に町々を建て、森林地帯に城塞を築きました。そして、アンモン人を打ち破り、多くの貢物を得ました。それも一回だけでなく、2年、3年と続きました。それは「彼が、自分の神、主の前に、自分の道を確かなものとしたから」でした。主は、ヨタムの歩みを見て喜び、彼と彼の下にあるユダとを祝福されたのです。しかし、それは、ユダ全体が主を恐れ、主に従うようになったということではありませんでした。2節に「民は依然として滅びに向かっていた」と記されています。彼の時代は預言者イザヤが活動し始めた時期でしたが、イザヤは、そのころのユダは偶像礼拝に走り、傲慢で、正義を捨て、貪欲、正に腐った葡萄のような状態だ、と言いました(イザヤ書1~6章)。そういう民の中でも誠実に主に従うリーダーが立つとき主はその民を省みてくださるのです。周りがどんな状態であっても主を第一にして歩むことが大切だと示されます。

 

2歴代誌 28章

 

「これは、主がユダの王アハズのゆえにユダを低くされたためである。彼がユダにおいて好き勝手にふるまい、甚だしく主の信頼を裏切ったからである。」

                    (2歴代誌 28:19)

 

 ヨタムを継いでユダの王となったアハズは、イスラエルの王たちの道に歩み、偶像を拝みました。エルサレムをはじめユダの町々に偶像をまつり、他の神々にいけにえを献げ、子どもたちに火の中を通らせました。それで、主は、彼を多くの苦難に遭わせられました。彼が苦しみを通して救いを求め、主に立ち帰ることを期待されたのでしょう。アラムに攻められ、イスラエルとの戦いに敗れて、多くの民が捕虜にされました。しかし、彼は苦しみに遭えば遭うほど、ますます、偶像礼拝の深みに落ち込んでいきました。ユダがイスラエルと戦って破れ、イスラエル軍がユダから多くの捕虜を連れ帰ったとき、神の人が、なぜ同胞を捕虜にするのか、私たちにも罪があるではないか、と語りかけ、イスラエルのつかさたちが、彼らを釈放せよ、さもないと主の怒りが私たちの上に下る、と迫りました。イスラエルは彼らの勧めに従ってユダの捕虜たちを解放しました。ところがユダの王アハズはなおも主に立ち返らず、アッシリヤ王の助けを借りてアラムとイスラエルに対抗しようとし、強国アラムの偶像礼拝を取り入れようとしました。主は、こんなアハズに対して、エドムやペリシテ人を送り、ユダを攻めさせ、彼らに悔改めを求められました。しかし、アハズはますます深く偶像礼拝にのめりこんでいきました。悔い改めない頑なな心ほど恐ろしいものはありません。すなおな、悔い改める心を与えてください、と祈りました。

 

2歴代誌 29章

 

「彼(ヒゼキヤ)はその治世の第一年の第一の月に主の宮の戸を開き、これを修理した。」

                     (2歴代誌 29:3)

 

 ヒゼキヤは、王になるとまっさきに、主の宮をきよめ、主を礼拝しました。彼は即位の第一年、第一の月に、主の宮に上り、父アハズの時代には長く閉ざされていた主の宮の戸を開き、レビ人たちを呼び集め、今のユダの悲惨さは、彼らが主を捨て、主が懲らしめを与えられたからだ、たから今、主に立ち返ろう、あなたがたレビ人は主ご自身の前に立たせるために主が選ばれた人たちだ、今、自分自身を聖別し、主の宮から汚れたものを皆とり去り、宮をきよめよ、と命じました。レビ人は立ち上がり、主の宮をきよめました。宮きよめが終わると、ヒゼキヤは、町のつかさたちを呼び集め、主の宮で礼拝をささげました。まず罪のためのいけにえをささげ、ついで全焼のいけにえをささげました。私たちも、罪を告白し、イエスさまの贖いを受けて、主に自分自身をささげます。その後、ヒゼキヤは感謝のいけにえをささげました。主の救いを喜び、皆と一緒に主に感謝をささげ、お互いに喜びあったのです。私たちも、救いを確信するとき、湧き上がる喜びを抑えきれず、兄弟姉妹と共に喜び、主と人々に感謝をあらわします。ささげものとしては感謝のささげものがいちばん多くささげられました。クリスチャンのこの世での生活でも、人々との関わりに現れる喜びや奉仕の業が人目につきます。しかし、実は、隠れたところでの悔い改めや献身がきちんとなされているかいないかが問題です。お前は、ヒゼキヤのように、まず、主の前に出ているか、と問われます。

 

2歴代誌 30章

 

「主に服従しなさい。とこしえに聖別された主の聖所に来て、あなたがたの神、主に仕えなさい。」

                     (2歴代誌 30:8)

 

 ヒゼキヤは信仰深い王で、即位するとまず、主の宮を修理し、祭司とレビ人を呼び集め、主を礼拝しました。罪のいけにえをささげ、全焼のいけにえをささげ、感謝のいけにえをささげました。彼は、さらにユダの民だけでなくイスラエルをも招いて、主の過越しを守ろうとしました。これは容易なことではありませんでした。全国民を呼び集めて過ぎ越しの祭りをするためには、祭司やレビ人の数が足りませんでした。ヒゼキヤの呼びかけを嘲り笑う人々もいました。しかし、彼の呼びかけに応じて、遠くからエルサレムに上ってきた人々もいました。こういう主を第一に考える人たちが、一つになって、種なしパンの祭り、つまり過越を守りました。過越の祭りは随分ひさしぶりのことだったので、どのように守るべきか分からず、不適切な守り方をしてさばきを受け、病気になった人も出ました。ヒゼキヤは彼らのために祈り、主はその祈りを聞いて彼らを癒されました。主は、主を第一にしようとする彼らの姿勢を喜ばれたのです。そして、その後、彼らは交わりのいけにえをささげました。交わりのいけにえは、共に主を崇め主の恵みに感謝し喜びあう交わりの中でささげられます。彼らの喜びは大きく、その祭りは延長されました。こうして、彼らは主を恐れ互いに愛しあう一つの集団になりました。アッシリヤに対抗する国民的一致が形造られたのです。すべて主の恵みによる備えでした。お前は主を崇め一致を守り育てるようにつとめているか、と問われます。

 

2歴代誌 31章

 

「彼が始めたすべてのわざにおいて、すなわち、神の宮の奉仕において、律法において、命令において、彼は神を求め、心を尽くして行い、これを成し遂げた。」           (2歴代誌 31:21)

 

 ヒゼキヤに先導され、ユダの人々は国をあげて過ぎ越しの祭りを守り、主の御前で共に喜び祝いました。それが終わると、そこに集まった人たちは、ユダをはじめ、ベニヤミン、マナセ、エフライムの各地まで出かけて行って、偶像を砕き、高き所を壊して、国中をきよめました。そして自分の町に帰りました。ヒゼキヤは、祭司とレビ人のつとめを定め、彼らが律法の奉仕に専念できるように、祭司とレビ人とのためにささげものを携えてくるように命じました。民は、穀物、油などの十分の一をもってきて、それを山と積み上げました。ヒゼキヤがそれは何かと聞くと、祭司アザルヤは、「人々が奉納物を主の宮に携えて来ることを始めてから、食べて満ち足り、たくさん残りました。主が御民を祝福されたので、その残りがこんなにたくさんあるのです」と説明しました。ヒゼキヤは、主の宮の脇部屋を整えてそこにそれを運び入れ、適切に管理するようにさせました。それは、レビ人たちとその家族たちに分配され、彼らは、生活の心配から解放され、主のための奉仕に専念できるようになりました。こうして、ユダの民が主を崇め、主を信頼して、互いに助けあう一つの交わりになりました。このときのヒゼキヤの働きは、主を求め、心を尽くして、その目的を果たしたもの、と高く評価されました。私たちも、主の恵みに感謝し、主のために、十分にささげ、主の御用に当たる奉仕者たちが安心してそのつとめを果たすことができるようにしたいものです。

 

2歴代誌 32章

 

「おまえたちは何に拠り頼んで、エルサレムの包囲の中にとどまるのか。」

                    (2歴代誌 32:10)

 

 ユダがヒゼキヤ王に導かれ、主を崇め、王を信頼して一つになったとき、アッシリヤの大軍が攻め寄せてきました。対抗不可能と見える大勢力でした。ヒゼキヤは、城外の水源地をふさぎ、城壁を堅固にし、武器を調え、国民を軍隊式に編成し、敵の来襲に備え、民の指導者たちに、「おののいてはならない。彼とともにいる者よりも大いなる方が私たちとともにいてくださるからである。彼とともにいる者は肉の腕だが、私たちとともにおられる方は、私たちの神、主であり、私たちを助け、私たちの戦いを戦ってくださる」と信仰による励ましを与えました。アッシリヤ王は、ユダは何によって対抗しようとするのか、ヒゼキヤは主が救ってくださると言うが、アッシリヤの王の手からその民を救い出せた神々はいない、と嘲りました。ヒゼキヤ王と預言者イザヤは主に祈りました。主は御使いを遣わしてアッシリヤ軍を打ち、一晩のうちにアッシリヤ軍を壊滅させられました。具体的には伝染病によるものだったかも知れませんが、詳しいことは分かりません。アッシリヤ王は帰国し、そこで殺されました。このように、主を信頼したヒゼキヤは救いを得、周辺諸国の尊敬を受け、多くの国々が友好を求めてきました。また重い病にかかりましたが、主によって癒されました。その後、彼は傲慢になり、主の怒りを招きました。しかし、彼と民が悔い改めたとき、主はさばきを控えられました。主は、主を信じ、へりくだって主を仰ぐ者を救われます。お前は何に拠り頼むのか、と問われます。

 

2歴代誌 33章

 

「(マナセは)神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうして、マナセは、主こそ神であることを知った。」

                    (2歴代誌 33:13)

 

 ヒゼキヤが死に、その子マナセがユダの王となりました。12歳でした。感じ易い年頃、まだ若いのに、偉大な父が死に、ユダの国を任せられ、アッシリヤという強国に圧迫され、不安にとらわれたのでしょう、彼はあらゆる神々に頼ろうとしました。ユダの人々もそれに習いました。ユダの偶像礼拝の罪は頂点に達しました。この罪がユダ滅亡の直接の原因だったことを、これから後、聖書は何度も何度も語ります(例えば、2列王23:26)。マナセはそんな悪を行った王でしたが、主の懲らしめでアッシリヤ王の配下にある将軍たちに捕えられバビロンに連れていかれたとき、悔い改めて、主に祈りました。そのとき、主は、彼の祈りを聞き、彼をユダに戻されました。彼はそこで主こそ神であることを知り、それからは主を崇め、国の守りを固め、偶像を取り除き、誠実にユダの国の再建につとめました。どんな罪人でも、悔い改めて主に祈るなら、主は救ってくださるのです。主の憐れみは何と大きく深いことでしょう。このようにマナセは悔い改めましたが、その影響は国民全体にまでは及びませんでした。そして、マナセの後を継いだアモンは、悔い改める以前の父マナセがしたように、偶像を拝み、主のみこころを損ねました。ユダの滅びに向かう歩みはとどまることはありませんでした。自分の罪を告白し、感謝して主を仰ぎ、新しく主のために生きる者と変えてください、と祈り求めます。

 

2歴代誌 34章

 

「彼(ヨシヤ)の生きている間、彼らはその父祖の神、主に従う道から外れなかった。」

                    (2歴代誌 34:33)

 

 マナセが死に、アモンの短い治世の後、ヨシヤがユダの王になりました。彼は、主の目にかなうことを行って、先祖ダビデの道に歩み、右にも左にもそれない生涯を送りました。マナセが悔い改めた後に幼少期を過ごし、その信仰を見て育ったからでしょうか。ヨシヤの主を求める熱心は彼が成人するにつれますます高まりました。彼はユダとエルサレムだけでなく、マナセ、エフライム、シメオン、さらには遠くナフタリの町々までも出かけて、偶像をのぞき、きよめの業を進めました。そして、エルサレムでは主の宮の修復に力を入れました。そういう彼に主は語りかけられました。主の宮の修理に当たっていた祭司ヒルキヤがモーセを通して語られた主のみことばを記した古い文書を発見し、それをヨシヤに届けたのです。彼は、その文書を読むとすぐ、主のみこころを求めて、女預言者フルダに、人を遣わしました。フルダは、ユダが偶像礼拝を止めなかった罪のゆえに、主はこの地に災いをもたらされることを語りました。しかし、悔い改めて、主に立ち返り、主を恐れて歩み出したヨシヤに対し、主は愛をそそぎ、彼の真実さに目を留め、ユダへのさばきを変えることはできないが、ヨシヤの願いは聞く、彼には災いを見せない、彼はユダの王として葬られる、と仰せられました。そして、彼の生きている間は、ユダも主の道を歩みました。周りがどんなに罪深く滅びの道を進んでも、主を信頼し主を崇めて歩む一人の人が大きな働きをすることを覚えます。

 

2歴代誌 35章

 

「しかし、ヨシヤは身を引かず、かえって、彼と戦おうとして変装し、神の御口から出たネコのことばを聞かなかった。」

                    (2歴代誌 35:22)

 

 ヨシヤは、主の宮を修理させていたときに発見された主の律法の書を聞いて、悔い改めを布告し、偶像を取り除き、主に従うとの契約に全国民を招きました。そして、主の契約の書を納めた箱を宮に据え、祭司を任命し、レビ人を召集して、過越しのいけにえを献げました。彼らがいけにえ屠ると、祭司がその血を注ぎ、レビ人が皮を剥ぎ、それを民が食べて、主を礼拝しました。長い間、無視されてきた過越しの祭りでした。そのために王は膨大な量のいけにえを提供し、つかさたちもならいました。麗しい、全国民が一つになってささげた過越しの祭りでした。しかし、民の自発的な献身によるというよりも、ヨシヤの熱心さが彼らをひっぱったもののようです。ヨシヤが、祭司たちを力づけたと言われていますし(2)、ヨシヤが非常に多くのささげものをしたのに、民の反応はそれほどではありません(30:24のヒゼキヤ、1歴代誌29:4、7のダビデのささげ物と民の応答を比べると)。その頃、それまで世界の支配者であったアッシリヤと新興のバビロンが戦い、エジプト王がアッシリヤを助けに出てきました。ヨシヤは、エジプト軍を迎え撃ち戦死しましたが、エルサレムの滅亡を見ることなく(34:38)、王としての名誉ある葬りを与えられました。この戦いに出るとき、彼が主のみ心をうかがっていないことが気になります。彼ほどの信仰の人でも、失敗することがあるのです。いつも主の憐れみを乞い、主の御導きを求めなければならない、と示されます。

 

2歴代誌 36章

 

「これは、エレミヤによって告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。」

                    (2歴代誌 36:21)

 

 ヨシヤの死後、ユダの人々は、ヨシヤの子エホアハズを王としました。しかし、ユダをも支配下においたエジプトは、ユダの人々が立てたエホアハズを廃して、彼の兄弟エホヤキムを王にしました。エジプトの傀儡政権を立てたのです。エホヤキムは、主を信ぜず、贅沢を好み、自分の利益を追い求め、公義を行わず、主の目の前に悪を行いました(エレミヤ22:13~17)。その彼のところに、アッシリヤを滅ぼしエジプトを抑えたバビロンが手を伸ばしてきました。エホヤキムはバビロンに降伏しましたが、その後、背きました(2列王24:1)。主を信じない者は人をも信じないものです。バビロン王は彼のところに攻め上ってきました。彼は捕らえられて死に、彼の子エホヤキンがユダの王になりました。エホヤキンも主の目の前に悪を行いました。バビロン王は、彼をバビロンに連れて行き、ゼデキヤをユダの王にしました。今度はバビロンの傀儡政権がユダに立てられたわけです。ゼデキヤは、バビロンに従って生きよという預言者エレミヤのことば(エレミヤ27:12)に従わず、バビロンに背き、ついにバビロン軍に攻め滅ぼされてしまいました。主に対する不信は人に対する不信を生み、結局は身を滅ぼすのです。しかし主は御真実です。バビロンに捕囚として連れ去られたユダを、エレミヤの預言どおり、70年目にユダの地に返されました。その地は不信で汚されたのですが、70年の安息の後、回復されたのです。主の御名はほむべきかな。

 

1歴代誌 1章

 

「アダム、セツ、エノシュ、・・・・。」

                      (1歴代誌 1:1)

 

 歴代誌は、人類の始祖アダムから始まり、イスラエルの民のバビロン捕囚から解放までのことが記されています。バビロン捕囚から解放されてエルサレムに帰ったものの、いろいろな苦しみにあって落胆し、どうしてよいかわからなくなっていたユダの帰還民に、自分たちはどういう者であるかという自覚を持たせ、自分たちに与えられている使命を覚えて奮い立たせるために記された書であると考えられます。祭司エズラが書いたと伝えられています。この系図は、アダム、セツ、エノシュ、とすべての人類を含む広がりをもちながら、その中から、ノア、セム、アブラハム、イサク、・・・と、だんだんと直系のユダヤ人の流れに焦点を合わせていく書き方になっています。全人類を視野におさめ、すべての人々に関心を払いながら、特別に選ばれた人たちに目を注いでいくのです。私たちも、主が、すべての人々に目を留めながらも、その中で特に私を選んでくださったことを感謝し、特に私に与えられている使命を確認し、献身の思いを堅くしていくのです。ユダヤ人たちは、この系図を読むとき、自分たちは神のかたちに造られたアダムをルーツとし、主の名によって祈ったセツの流れを汲み、信仰の父と言われたアブラハムを先祖にもっているのだという誇りをもち、確かな生の土台を持ったことでしょう。私たちも、自分がどうしてイエスさまと出会い、救われたかを思い起こすとき、生きる力が湧いてきます。つねに自分の霊的ルーツを思いかえし、その恵みを思い巡らし、主の目から見る自分はどういう者であるかを確認することが大切です。

 

1歴代誌 2章

 

「イスラエルの子は次のとおりである。・・・・ユダの子は、・・・。」

                    (1歴代誌 2:1,3)

 

 アブラハムからイサク、ヤコブ、ユダ、と続くユダ族の家系の流れがダビデに至るまで示されています。ヤコブは、兄エサウの弱みにつけ込んで長子の権を奪いましたが、その逃亡の旅の途中で主の御顧みに目覚め、逃亡先から帰ってくるとき、ヤボクの渡しで、主と出会う経験をしてイスラエルという名をいただきました。その子ユダは弟のヨセフをイシュマエル人の隊商に売り飛ばしましたが、その後、エジプトでもう一人の弟のベニヤミンが奴隷とされそうになったときには、自分が身代わりになると申し出ました(創世記37,44章)。彼は、異邦人の女を妻にして3人の子をもうけましたが、その子たちが主を怒らせて次々と死に、ユダの血筋を残したいと考えた死んだ子の妻タマルが遊女を装って彼の前に現れ、ユダは彼女によって二人の子を得ました。またユダの子孫には、イスラエルがエリコを攻め取ったとき、聖絶のものを盗むという罪を犯したアカンがいたり、イスラエル人が嫌った異邦人の女を妻にした人が何人かいました。ダビデ王の祖父もボアズとモアブ人の女ルツとの間にできた子でした。ルツは、イスラエルの神、主を自分の神、主とする信仰をもってモアブからユダのベツレヘムへ移ってきた人でした。この世では立派だった先祖を誇り、彼らの弱みには目をつぶることがよくありますが、この系図はユダの先祖たちの罪や弱さを示しながらも、それを超えて、彼らを愛し立たせてくださった主の恵みと御真実を示しています。私も、主の前に正直に自分の罪を認め、それを超えて注がれる主の恵みを信じます。

 

1歴代誌 3章

 

「ヘブロンで生まれたダビデの子はつぎのとおりである。」

                      (1歴代誌 3:1)

 

 歴代誌の著者は、まずアダムからアブラハム、そしてユダにいたる系図を示し、ここで、ユダ部族の流れの中のダビデの子孫に目を向けさせます。主は、ダビデに彼の子孫はとこしえに主の王国の王座に着く、と約束されたので(2サムエル7章)、その系図を綿密に記録したのでしょう。ダビデがへブロン時代、6人の女性によって6人の子を得たこと、エルサレムで彼に生まれた最初の4人の子たちは、家臣ウリヤの妻だったバテ・シュアを妻にして、彼女が生んだ子どもたちであったことに目が留まります。ダビデは、サウルに追われたとき、妻ミカルを奪われ、夫婦関係に深い傷を受けたこともあり、多くの女性を妻にし、多くの子をもうけました。これがダビデ家の大きな混乱の原因になりました。しかし、バテ・シュアのことで、はっきり悔い改め、主の赦しを経験し、主にたいする深い個人的信頼をもつようになりました。その信仰を主は喜ばれました。主のお約束どおり、ダビデの子孫は代々ユダの王座に着きました。彼らの多くは父の道にしたがって主を崇めました。主を崇める形は守ったのです。しかし、父祖ダビデの道に従った、つまり個人的に主を信頼した王は多くはありませんでした。そのためユダも滅び、バビロンに捕囚として連れ去られ、ダビデの子孫が王になるというお約束は空しくなったように見えました。しかしそこでもダビデの子孫は残されていました。そして、その流れの中からヨセフが生まれイエスさまの父になったのです(マタイ1章)。もはや望みがなくなったように見えても主のお約束は成就するのです。

 

1歴代誌 4章

 

「ヤベツはイスラエルの神に呼び求めて言った。・・・。」

                     (1歴代誌 4:10)

 

 この章には、ユダ族の本流から外れた人たちの系図とシメオンの系図が記されています。その系図は断片的で不完全です。それほど重要でない人たちだったのでしょうか。しかしそういう人々も主は覚えてくださっているのです。ここでのユダの家系の中では、よく知られているのは、イスラエルがカナンの地をうかがったとき、信仰に立って報告したカレブ(民数記13,14章)と最初の士師としてクシャン・リシュアタイムの手からイスラエルを解放したオテニエル(士師記3:10)だけです。その中でヤベツが悲しみの中で生まれたが、主に呼ばわって聞かれたことが特記されています。彼は、主に、彼の地境を広げてくれるよう、災いから守られるよう、求めました。今で言えば、商売繁盛・家内安全の願いですが、主に祈ったとき、主はその願いを聞いてくださいました。平凡な普通の道でも、主にあって、積極的に励むとき、主は祝福してくださるのです。また、ユダ族の、亜麻布業を営む者、陶器師などのことが記されています。偉大な王や信仰の勇者ばかりでなく、普通の仕事をし堅実な生活を営んだ人たちも主は喜び、目を留めてくださるのです。シメオン族の中でも、出て行って広い土地を得た一族、敵を聖絶してその地に住んだ人々など積極的に生きた人々のことが記されています。主を仰ぎ、主の祝福を祈り求めつつ、平凡でも、与えられた自分の仕事に積極的に励め、主は見てくださっている、と聖書記者は語るのです。主は、偉大な人、成功者だけでなく、自分のつとめに忠実に励む普通の人をも喜んでくださるのです。

 

1歴代誌 5章

 

「今日もそのままである。」

                     (1歴代誌 5:26)

 

 この章には、イスラエルの長子ルベンとガドとマナセの半部族の系図が記録されています。ルベンはイスラエルの長子でしたが、父のそばめビルハと不倫を犯したため、ふつう長子に与えられる長子の権と支配の権を、長子の権はヨセフに、支配の権はユダに譲らなければなりませんでした。ガドはルベンの母であったレアの侍女ジルパの初めの子で、マナセはヨセフの長子でしたが、長子の権を弟のエフライムに譲らなければならなかった人でした。こういう始祖の共通点が彼らを結びつけたのでしょうか、彼らは、イスラエルがカナンの地に攻め入るためにヨルダン川の東まできたとき、共同歩調をとりました。その地が広く豊かなのを見て、いまだ目にしていないカナンの地でなく、ヨルダン川の東の地を求め、ヨルダンの西を占領するまでの戦いには戦士を送って協力しましたが、その後、ヨルダン川の東の地に帰って、そこに住み着きました。主の約束よりも、目に見える物質的な富に目を向けたのです。彼らは広大な地を手に入れましたが、イスラエルの北と東から強力な敵がイスラエルに攻め入ってきたときは、真っ先に被害を受けました。こういう人たちでしたが、彼らが主に呼ばわったとき、主は彼らに勝利を与えられました(20)。しかし、彼らが主を信ぜず偶像に心を寄せ主に対して不貞をおかしたので、彼らはアッシリヤに捕囚として連れ去られ、そのままになって、歴代誌が記されたときもまだそのままでした。回復されなかったのです。「主にたいして真実であれ。他のものに目を向けるな」という御声が聞こえます。

 

 

1歴代誌 6章

 

「レビの子は、ゲルション、ケハテ、メラリ。・・・」

                      (1歴代誌 6:1)

 

 この章にはレビ族の系図と、それぞれのつとめ、また居住地が示されています。レビはイスラエルつまりヤコブの3番目の子で、気性の激しい人でした。妹のデイナが土地の有力者シェケムに犯されたとき、シェケムの一族を皆殺しにし、父ヤコブはその乱暴ぶりを嘆き(創世記34章)、シメオンとレビはイスラエルの中に散らされると言いましたが(創世記49:7)、その激しい性質は主に用いられると大きな力になりました。レビの子孫モーセは、イスラエルがエジプトで奴隷とされ立ち上がる気力もなくなっていたとき、エジプトの王もイスラエルの反対も恐れず、ただ主を信頼し、ひたすら主のみことばに従って、イスラエルをエジプトから導き出し、40年も砂漠をへめぐって、ついにカナンの地まで導きました。また、イスラエルの若者がモアブの女に引かれて彼らを妻とし彼女たちの偶像礼拝にひかれて主の怒りを招いたとき、アロンの孫ピネハスは、周りの人たちの思惑を気にせず、モアブの女を連れ込んだ男を刺し殺し、主の怒りをなだめました(民25:7,8)。レビ族の激しい気性は主への奉仕のために用いられました。彼らは祭司、賛美の指導者とされ、また礼拝のための下働きに当たりました。レビ族は他の部族とは違ってまとまった相続地は与えられず、彼らの町は全イスラエルに分散されました。全イスラエルに主の教えを伝えるためでした。また間違って人を殺した人を復讐者の手から守るための「逃れの町」も彼らの町でした。どんな者も主に用いられるときよめられ祝福のもととなることができるのです。

 

1歴代誌 7章

 

「イッサカル族の者は、トラ、プア、ヤシュブ、シムロンの4人・・・・その子はヌン、その子はヨシュア。」

                   (1歴代誌 7:1、27)

 

 この章には、カナンの地の中央部から北の方に住んだ部族の系図が記されています。この箇所で不思議に思ったのは、モーセの後継者としてイスラエルをカナンの地に導きいれたヨシュアのように大きな働きをした人も、その成し遂げた事業については一言もなく、ただ名前だけが記されているということでした。主の御前においては、何をしたかよりも主に属する者であるかどうかが問題なのです。イエスさまも、弟子たちが伝道旅行から帰ったとき、彼らが、主の御名を用いると悪霊も従います、と喜んで報告したとき、「悪霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」と言われました(ルカ10:20)。何もできない者だと嘆くことはありません。主に属する者でることが大事なのです。イエスさまを信じたときから私たちの名は天に書き記されているのです。もうひとつ、ここには女性の名前が多く出ていることが目に留まります。だれだれの娘であったとかだれそれの妻であったとだけ記されている人も、町を建てたという人もいますが、女性の名前が男性の名前と同じように記録されています。主は、男女の間に性質や役割の違いはもうけられましたが、働きや主との関係で優劣や差別を認めておられません。主の御国には、男女を問わずイエスさまの御名を信じた者はすべて同じように迎え入れられるのだ、男女たがいに深い尊敬をもって認めあえ、と語っていただいた、と受け止めます。

 

1歴代誌 8章

 

「ネルはキシュを生み、キシュはサウルを生み、・・・。」

                     (1歴代誌 8:33)

 

 イスラエル初代の王サウルの系譜を示すためでしょうか、ベニヤミン族の系図が示されます。ベニヤミンはヤコブが愛した妻ラケルによるヤコブの末っ子で、母ラケルは彼を生んですぐ死に、母のいない不安と、父ヤコブの深い愛情を受けて育ったと思われます。ベニヤミン族には激しい激情、勇敢さ、すぐれた指導力が引き継がれました。エフデは、イスラエルを支配していたモアブの王エグロンを一人で訪ね、彼を刺し殺し、モアブの支配を打ち払いました(士師記3:15以下)。サウルは、ヤベシュ・ギレアデがアモン人の王ナハシュに辱められたと聞くと、すぐ、イスラエル全軍を率いてナハシュを打ち、大勝利を得ました(1サムエル11章)。その子ヨナタンもペリシテ人の大軍のなかに従者ひとりだけ連れて切り込み、イスラエル大勝利のきっかけをつくりました(1サムエル14章)。しかし弱さもありました。サウルは、アマレク人を聖絶せよ、との主の命を受けてアマレク人を打ったのに、獲物を惜しんで、主の怒りを買いました(1サムエル15章)。自分の中から湧き出る力に任せて勇気をふるい大きな力を発揮しますが、主の規律によってそれを制御する力には欠けていました。ベニヤミンの血に流れているこの特色を顕著に示しているのがシャハライムで、彼は自分の思いのままに妻を離別し別の妻を得、異国の地で子をもうけました。しかし、そのような奔放な性質もイエスさまに出会いきよめられると、ベニヤミン出身の使徒パウロに見られるような素晴らしい実を結びます。主にお委ねすることの大切さを思います。

 

1歴代誌 9章

 

「彼らは神の宮の回りで夜を過ごした。彼らには任務が課されていて、朝ごとにかぎを開けたからである。」

                     (1歴代誌 9:27)

 

 この章の最初に、イスラエルがバビロン捕囚から帰ったときエルサレムに住み着いたのが、ユダ族、ベニヤミン族、エフライム及びマナセ族、また祭司たち、及びレビ人たちであった、と記されています。彼らは大きな犠牲を払ってでも主を第一にする人たちでした。捕囚から帰国したとき、荒廃した町エルサレムに住むのはたやすいことではありませんでした。ネヘミヤは、「くじを引いて、10人のうちから1人づつ、聖なる都エルサレムに来て住むようにし、・・・民は、自分から進んでエルサレムに住もうとする人々をみな祝福した」と記録しています(ネヘミヤ11:1,2)。エルサレムに住んだ祭司たちは、宮の礼拝をつかさどり、レビ人は、聖歌隊としての奉仕と門衛の奉仕にあたり、また宮の器具の管理の仕事もしました。レビ人の先祖のリストにアサフとかエドトンという名前が出てきますが、詩篇によく出てくるように、彼らは聖歌隊の指導者でした。門衛のレビ人の一番初めのリーダーはピネハスでしたが、彼はイスラエルが偶像礼拝にひかれたとき、決然と立って、その罪を一掃した人で(民25:7,8)、「主は彼とともにおられた」と言われています。門衛たちは、宮の周りで夜を過ごし、朝ごとにかぎを開けて民を主の前に迎え入れました。卑しい仕事のようですが、主とともにあり、主の身近に過ごし、人々を主の御許に招き入れる生活はなんと素晴らしい生活でしょうか。ダビデも、「私は悪の天幕に住むよりは私の神の宮の門口に立ちたのです」と言いました(詩篇84:10)。

 

1歴代誌 10章

 

「このように、サウルは主の信頼を裏切った不信の罪のために死んだ。・・・主は彼を殺し、王位をエッサイの子ダビデに回された。」

                 (1歴代誌 10:13、14)

 

 8章から9章で、ベニヤミン族の系図がサウル家の系図に集約されています。サウルはイスラエル初代の王ですが、不信のゆえに死に、王座はダビデに回されました。サウルはサムエルから油を注がれてイスラエルの王となりました。良い王としてスタートしました。ヤベシュ・ギレアデがアンモン人の王ナハシュに犯されると聞くと決然として立ちあがり、アンモン人を撃ってヤベシュ・ギレアデを救いました(1サムエル10,11章)。しかし、アマレク人を打ったとき、民の人気と戦利品にひかれ、アマレク人を聖絶せよという主の命にそむき、サムエルに罪を指摘されても、民の前での面目を大事にしました。彼は主よりも人の目を気にしたのです(1サムエル15:30)。ダビデの人気が高まると、王座を奪われないかと恐れ、彼の命を求めて追い回し、政権の動揺を招き、ペリシテ人に攻め込まれ、不安になると霊媒の助けを求めました(1サムエル28:7)。主の民の王として不適格であることが明らかになりました。最後はペリシテ人との戦いに敗れ、死体をさらされました。しかし、彼に助けられたヤベシュ・ギレアデの人々はサウルとその息子たちのなきがらを丁重に埋葬しました。王位はダビデに回されました。せっかく恵みをいただいても信じつづけなければ実を結ばないこと、主はイスラエルを愛し、主を恐れ主を愛し主に従って国を治める王を彼らにお与えになること、を示されました。主は、私たちにも主を信じつづけるように呼びかけられている、と受け止めました。

 

1歴代誌 11章

 

「彼らは、ダビデとともにその王権を強固にし、全イスラエルとともに、イスラエルについての主のことばのとおり、彼を王とした人々である。」

                    (1歴代誌 11:10)

 

 サウルがペリシテ人との戦いで戦死した後、ダビデは、ユダのへブロンへ行き、そこでユダの家の王として7年間を過ごしました。サウルの子イシュ・ボシェテが王になり部下に殺されたことはここでは省略されています(2サムエル2,4章)。イスラエルの人々はへブロンのダビデのもとに来て、ダビデに油を注ぎ、彼を全イスラエルの王としました。サムエルに与えられた主のみことばが実現しました。それまでもイスラエルはダビデがイスラエルの王として主によって立てられた人だと知っていたのですが、それを受け入れ、それに従うまでには長い時間がかかりました。しかし、主のみことばは必ず実現します。信じてみことばにしっかり立ちつづける信仰がすべての基礎です。主のみことは必ず実現しますが、それは主にすべてを捧げる人の働きを通して実現するのです。主によって油を注がれたダビデの王権が確立するためには、命をかけて真っ先にエルサレムに攻め込んだヨアブや、民が皆、逃げ去っても踏みとどまって主の民のために戦ったエルアザルたちの働きが必要でした。今日でも、主の御国の進展のためには、すべてを捧げて主に仕える人が求められています。最後にダビデの下には多くの勇士がいたことが記されています。ダビデは彼らの支えと助けによって、イスラエルを建てあげることができたのです。主の御業は、主を信じ、主にすべてを捧げる人たちの交わりを通して進むのです。主にある交わりを感謝し、それを大切にしたいと思います。

1歴代誌 12章

 

「そのとき、御霊が補佐官の長アマサイをおおった。『ダビデよ。私たちはあなたの味方。エッサイの子よ、私たちはあなたとともにいる。』」

                    (1歴代誌 12:18)

 

 この章はダビデが苦難の中にあったとき、彼を助けた人たちのリストです。ダビデはサウルに追われ、ペリシテ人の地に逃れ、ツイクラグに住みましたが、そのとき、彼のもとに多くの人たちが集まってきました。サウルの同族ベニヤミン族からも何人かの勇士たちが集まってきました。また遠くヨルダン川の東にありサウルの支配下にあったガド族からヨルダン川が溢れて渡るのがいちばん難しい時期にヨルダン川を渡ってきた人たちがいました。彼らは勇士でしたが、サウルの下ではアウトサイダーでした。こういう人たちを迎えたダビデは、お前たちは私を助けるために来たのか、私を欺いて敵に渡すために来たのか、と問いました。そのとき、アマサイが御霊に捕えられて、「ダビデよ。私たちはあなたの味方。エッサイの子よ、私たちはあなたとともにいる」と言いました。信仰により、神によって彼らを受け入れるようダビデを助けたのです。こうして無法者の集団が信仰によって結ばれる精鋭部隊になりました。私たちも罪人ですが、イエスさまを信じる信仰に立つとき、神の兵士、主の証人とされるのです。ダビデがサウルと戦わなければならない苦境に陥ったときマナセから加わった人々があり、ダビデの留守中にツイクラグを襲ったアマレク人を追跡するとき大きな助けとなりました。ダビデがへブロンに移って後、全イスラエルから多くの人たちが彼のもとに集まってきて、ダビデを全イスラエルの王としました。主は信じる者に時にかなった助けを与えてくさる御方です。

 

1歴代誌 13章

 

「その日ダビデは神を恐れて言った。『どうして、神の箱を私のところに運び込むことができようか。』」

                    (1歴代誌 13:12)

 

 ダビデがイスラエルの王となり、へブロンからエルサレムに移って間もなく、ダビデは、ペリシテ人の地から帰ってきてキルヤテ・エアリムに留まったままになっていた神の箱をエルサレムに迎えたいと思いました。それで、千人隊と百人隊の長たち、すべての隊長たちにはかり、イスラエル全体に呼びかけました。サウルの時代には、神の箱を顧みなかったから、自分たちはこれを持ち帰って、お世話をしよう、と提案したのです。イスラエルの全集団も賛成しました。それで、ダビデは全イスラエルを招集し、アビナダブの家から、新しい車に乗せて、神の箱を運び出しました。ダビデと全イスラエルは、歌を歌い、立琴、十弦の琴、タンバリン、シンバル、ラッパをふきならし、力の限り踊りました。ところが、車を引いていた牛がよろめき神の箱をひっくり返しそうになりました。ウザは神の箱を守ろうとして、箱を抑えました。そのとき、ウザは神に打たれて死にました。このときのダビデとイスラエルは、またウザも、神の箱が放置されたままではお気の毒だ、私たちがお世話をしよう、最高の奉仕をし、その奉仕の喜びを天地すべてのものに見てもらおうとする自分と自分の奉仕を誇る思いに満ち、主の御前にへりくだって主を賛美する姿勢にはなっていなかったようです。ダビデもイスラエルも、主を恐れ主の前にへりくだることを学ばなければなりませんでした。後に学ぶように、その姿勢が整ったとき、主は喜んでダビデの奉仕を受け入れられたのです。

 

1歴代誌 14章

 

「ダビデは、主が自分をイスラエルの王として堅く立ててくださり、主の民イスラエルのために、自分の王権が高く上げられていることを知った。」

                     (1歴代誌 14:2)

 

 ダビデがイスラエルの王となり、主を恐れ、主にあって国の統治に励んだとき、ツロの王ヒラムが、ダビデに使いを送り、彼のために王宮を建てることを勧め、杉材などの材料と、石工、大工などの技術者を提供してくれました。ダビデ王の国造りの成果を高く評価したのでしょう。そのとき、「ダビデは、主が自分をイスラエルの王として堅く立ててくださり、主の民イスラエルのために、自分の王権が高く上げられていること」を知りました。私たちにも、誰かに評価され、主がこれを成し遂げさせてくださったのだ、と確信できるようになることがあります。それは大きな喜びです。そんな歩みをしたいものです。そんな歩みは、降って沸いたように来るものではありません。いつも主のみこころを伺い、すべてを捧げて主に従う歩みの積み重ねから経験できるものです。ダビデの歩みがそうでした。ダビデが王になるとすぐペリシテ人が攻めてきました。ペリシテ人は先の王サウルを撃ち殺した大敵でした。しかし、主にうかがったダビデに、主は、「攻め上れ。わたしは彼らをあなたの手に渡す」と言われました。言われたとおりにすると、イスラエルはペリシテ人に大勝しました。しかし、ペリシテ人は態勢を立て直してもう一度、攻めてきました。ダビデは今度も主にうかがいました。今度は主は違った指示を与えられましたが、それに従うと大勝利を与えてくださいました。成功経験に頼らず一つ一つ主のみこころをうかがって歩むことが鍵なのだ、と受け止めました。

 

歴代誌 15章

 

「レビ人たちは、モーセが主のことばに従って命じたとおり、担い棒を肩に載せて神の箱を担いだ。」

                    (1歴代誌 15:15)

 

 ダビデは、神の箱がキルヤテ・エアリムに放置されたまなのを見て、自分の町エルサレムへ運び込もうとしました。新しい牛車で運ぼうとしました。ところが、牛がよろめいて、神の箱が倒れそうになりました。それでウザが手を伸ばして神の箱を抑えようとし、主の怒りを買い、打たれて死にました。主にたいする恐れが欠けていたのです。ダビデは恐れて、神の箱をオベデ・エドムの家に回しました(13章)。主がオベデ・エドムの家を祝されたのを見て、ダビデは心を安んじ、今度は、主の定めのとおりに、レビ人の肩に担がせて神の箱をエルサレムに迎えようとしました。ダビデは、自分が、自分の力で、主のお世話をしようとしていた思い上がりに気づき、主が定められたとおりに、レビ人に主への礼拝を委ね、ダビデが用意する車によらず、レビ人が肩に担いで神の箱をエルサレムまで運ぶようにさせたのです。そして、レビ人を組み分けし、それぞれの担当を決め、秩序ただしく、主を礼拝し、神の箱を守るようにさせました。祭司が礼拝をつかさどり、歌うたいが賛美を担当し、門衛が主の幕屋を守り、また荷物の管理もレビ人がその奉仕に当たりました。主はそれぞれの人に、主に仕える奉仕の務めを与えられます。なんでも自分がしようとすることは、熱心のようで、そこに傲慢が潜み、他人の領域を犯します。へりくだって、それぞれのつとめを尊重し、すべての人々が喜んで、自分に与えられた使命を果たせるように助けあうことを主は喜ばれるのです。

 

1歴代誌 16章

 

「それから、レビ人のある者たちを任命して、主の箱の前で仕えさせ、イスラエルの神、主に向かってその御名を呼び、告白し、賛美するようにした。」

                     (1歴代誌 16:4)

 

 ダビデは、エルサレムに神の箱を運び込み、まず、全焼のささげものと交わりのささげものを捧げました。全焼のささげものはすべてをささげる献身をあらわすもの、交わりのささげものは主との和解の祝福を皆で分かちあい喜びあうものです。ダビデはイスラエルの民ひとりひとりにパンとお菓子を分け与えました。私たちも、主の救いを覚えるとき、感謝して自分自身を主に捧げ、その喜びを兄弟姉妹と分かちあいます。それから、ダビデは、レビ人、祭司たちがそれぞれの役目に応じて、主の前に、毎日の日課として、主に礼拝をささげるように整えました。日々、決まった時に、定まったように、主を覚えることは、私たちにとっても大切なことです。私たちは、日々、どのように主を覚え、礼拝をささげているか、機会があるごとに、その恵みを誰かと分かちあって、ともに主を喜び、賛美しているか、と問われているのを覚えます。その後、ダビデは、彼の聖歌隊によって、主を賛美しました。ここに記されているダビデの賛美は、いろいろな詩篇で別々に歌われているものをまとめたようなかたちで記されていますが、そこには、賛美の大事な要素が見事にまとめられています。それは、感謝して主を求めること(8節以下)、主のお約束を覚えること(15節以下)、すべての人々に賛美を呼びかけること(23節以下)、主に栄光を帰し(28節以下)、喜びをもって主に感謝すること(31節以下)、を内容としています。私たちも、この賛美に唱和したいと思います。

 

1歴代誌 17章

 

「主よ。あなたは彼らの神となられました。今、主よ。あなたが、このしもべとその家についてお語りになったことばをとこいしえまでも真実なものとし、お語りになったとおおりに行ってください。」                                            

                 (1歴代誌 17:22,23)

 

 ダビデは、国が安定し神の箱をエルサレムに迎えたとき、自分は杉材の立派な家に住んでいるのに主の契約の箱を粗末な天幕の中に置いておくのはよくない、主の契約の箱のために立派な宮を建てたい、と思いました。預言者ナタンも賛成しました。しかし、主は言われました。ダビデが主のために家を建てるのではない、主がダビデを低いところから引き上げ、イスラエルの王としたのだ、主が彼のために家を建てるのだ、彼の王座は長く続く、と。ダビデは、ここで、自分が主のために何かをするのではなく、事をなさるのは主である、自分はその主の御業のために召されたのだ、ということを学んだと思います。彼は、主の大きな御顧みに感動しました。この、主が自分を大事に思い、高く評価してくださったという自覚から、彼の中に、主がイスラエルを愛してご自分の民とされ、イスラエルに平和を与えられる、そのために自分とその子孫は仕える者とされたのだ、という使命感が湧き上がってきました。彼は主の恵みを感謝して受け、そのお約束が実現するように祈りました。そのとき、彼は、その恵みに応えて、主のみこころの実現のために全力を尽くして仕えよう、と思ったに違いありません。主の恵みを感謝して受け、自分がどれほど深く主に愛されているかを確認し、自分についての主の召しを確信して歩むことほど大きな祝福はありません。「私もそんな人生に導いてください」と祈りました。

 

1歴代誌 18章

 

「ダビデ王は、それらもまた、・・・主のために聖別した。・・・主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。」

                 (1歴代誌 18:11、13)

 

 この章には2サムエル8章とほとんど同じことが記されています。ダビデが周囲の国々と戦いそのすべてに勝利した記録です。ダビデが生まれ出た頃のイスラエルはいろいろな国々に取り囲まれ、その侵略を受け、イスラエル人は安心して生活できない状況でした。ですから、ダビデは王となると、まず、それらの国々と戦い、彼らの力を排除し、国の安全を確保しました。外国の干渉からの完全な独立が国の繁栄の基礎だからです。どのような国をつくりだすかが次の課題になります。ダビデが戦うべき敵は、西のペリシテ、東のモアブ、東北のアラム、東南のエドムなどの国々でした。それらの戦いにおいてダビデはすべて勝利しました。彼は多くの戦利品を得ました。しかしダビデの行く先々で彼に勝利を与えられたのは主でした。その勝利を祝って、ダビデに貢物を持ってくる者もありました。ダビデが打ち破ったハダドエゼルに攻められていたハマテの王トウの王子ハドラムがそうでした。ダビデはそれらの戦いで得た戦利品とともに、その貢物も主にささげました。ダビデが戦い、主が勝利を与え、ダビデが感謝してささげものをする。麗しい交わりです。このささげものは、後に、ソロモンの神殿造営に用いられました。このダビデのイスラエル建国の大事業には多くの協力者があったことが最後のところに記録されています。私たちも、主によって仕事を与えられ、多くの人々との交わりの中で働き、その働きの実を、感謝をもって、主に捧げる喜びを経験したいものです。

 

1歴代誌 19章

 

「強くあれ。われわれの民のため、われわれの神の町々のために、奮い立とう。主が、御目にかなうことをされるのだ。」

                   (1歴代誌 19:13)

 

 アンモン人の王ナハシュが死に、その子ハヌンが王位を継いだことを聞いたダビデは、弔問の使者を遣わしました。友好関係を維持したかったからでした。しかし、アンモン人は不信感にとらわれて、ダビデの好意をすなおに受けず、使者を辱めました。そして、ダビデが友好関係を求めた両国の間に戦争が起こりました。不信感をもって人と関わると争いを生み出す、信をもってつきあうことが大切だ、と示されます。アンモン人は、大金を払いアラムの援軍を雇って戦いに臨み、ダビデもヨアブとイスラエルの全軍を送り出しました。ヨアブは、戦場に着いたとき、アンモン人は町を背にして陣を敷き、援軍のアラム人がイスラエル軍の背後に陣を張っているのに気づきました。それで、軍を二分し、弟のアビシャイに一軍を委ねてアンモン人に向かわせ、自分は一軍を率いてアラム人に向かいました。そのとき、彼は、「強くあれ。われわれの民のため、われわれの神の町々のために、奮い立とう。主が、御目にかなうことをされるのだ」と言いました。彼は根っからの軍人でしたから、兵は自分たちの町や家族のために戦うとき大きな力を発揮すると知っていたのでしょう。しかし、信仰の人ダビデとともに歩むうちに主を信頼することが何よりも大事だということを学んだことが大きかったと思われます。ですから、自分の町であるだけでなく主の町だということを意識しさらに主を信頼することを励ますようになったのでしょう。信仰の交わりの素晴らしさを思います。

1歴代誌 20章

 

「年が改まり、王たちが出陣する時期になった。ヨアブは軍勢を率いてアンモン人の地を討ち滅ぼし、ラバに来てこれを包囲した。」

                     (1歴代誌 20:1)

 

 この章の出だしは2サムエル11章と同じで、4節以下は2サムエル21:18と同じです。2サムエルがその間に記している出来事、ダビデとバテ・シェバとの姦通事件、アムノンとタマルの近親相姦、アブサロムのアムノン殺害、逃亡、反逆、死、ギブオン人の復讐事件、ダビデが弱ったこと、等はすべて省略されています。ダビデの王権を高揚するためと解釈することもできますが、逆に、完全な沈黙を通してダビデの罪、悔い改め、そしてその回復を強烈に思いださせ、イスラエルを顧みられる主の恵みと救いとを深く悟らせるためだったとも受けとれます。沈黙がより雄弁に語ることもあるのです。この章は、また、ダビデのことではなく、ダビデに従ってイスラエルの防衛と勝利のために働いたダビデの部下の勇士たちの働きの記録だとも理解できます。ヨアブは軍を率いてアンモン人を征服し、ダビデの勇士たちはイスラエルに挑戦したゴリヤテと同類の巨人たちや手足の指が6本づつという大男を打ち倒しました。しかし、これら全体を通じて、主のお約束どおり、イスラエル王国がダビデの下で確立されていったことがわかります。サムエル記や列王記、歴代誌は、ダビデやその他の人たちの英雄物語としてではなく、彼らを用いてイスラエルに勝利を与えられた主の救いの記録だと見ることが大切だと示されます。聖書を読むとき、表面に出てくる英雄たちの言動よりもその奥に隠されている主の御業や主の御思いに目を留めることが大切だ、と聞きました。

 

1歴代誌 21章

 

「ダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げ、主を呼んだ。主は、全焼のささげ物の祭壇の上に天から火を下し、彼に答えられた。」

                    (1歴代誌 21:26)

 

 ダビデはイスラエルの人口を数えさせました。サタンに誘われてのことだと記されていますから、自分の勢力を確認し、自分の力を誇るような思いからのことだったのでしょうか。ダビデはそのことで主の怒りを買ったことを知り、そのさばきを告げた先見者ガドに、罪を告白し、主のさばきは受けるが、人の手には陥りたくない、主の手に陥らせてほしい、と願いました。イスラエルに三日間の疫病が臨みましたが、主はその災いを見て思い直され、ダビデは、悪かったのは私で、民ではない、彼らを赦してほしい、と祈りました。そのときダビデは、エブス人オルナンの打ち場に導かれ、十分な値を支払って、彼からその地を買い取り、そこに祭壇を築き、全焼のささげ物と交わりのいけにえをささげて、主に呼ばわりました。すると主は全焼のささげ物の祭壇の上に天から火を下して、彼に答えられました。主は御使いに命じて神罰を止められました。ダビデは罪を犯しましたが、そのことを悔い改めたとき、主の御使いの姿を見、主への礼拝が受け入れられたことを確信し、そのことを記念して、そこを主を礼拝する場とするように導かれたのです。その地は、後にダビデの子ソロモンが主の宮を築く地となりました。ダビデには、主の宮を築くことは許されませんでしたが、そのための備えをすることが許されました。罪を犯しても悔い改めるとき、主はそこに大きな祝福への道を開いてくださるのです。

 

1歴代誌 22章

 

「今、あなたがたは心とたましを傾けて、あなたがたの神、主を求めよ。」

                    (1歴代誌 22:19)

 

 ダビデは、オルナンから買い取った場所に祭壇を築き、主にいけにえをささげ、火によって主が答えられたのを見て、恐れ、「これこそ神である主の宮だ。これこそイスラエルの全焼のささげ物の祭壇だ」と叫びました。彼に、ここに主の宮を建てたいという願いが起こりました。彼はそう願っただけでなくそのための準備を進めました。働く人を用意し、建築材料を備え、費用を調えました。しかし、彼はそれを自分がするのだという自負心によって進めることはできませんでした。どこまでも、主によって事は進む、自分は自分に与えられたところで留まる、という謙虚さを学んでいました。彼は、自分には主の宮を建てたいという願いはあるが、自分は多くの血を流してきたから、そのような聖なる仕事を進めるにはふさわしくない、平和な後継者にその仕事を委ねるのが主のみこころだ、と受け止めていました。彼はソロモンにその仕事を委ねました。しかし、そのことはソロモンにとっても、たいへんなことです。人はすぐ人間的な外側の働きに目が向くものです。本当に大切なのは主のみこころを悟り知ってその実現を求めて事を進めることです。物質的な準備だけでなく、いつも主のみころを求める姿勢を育てることが何よりも大切でした。ですから、彼はソロモンと彼を支えるイスラエルのつかさたちに、「今、あなたがたは心とたましを傾けて、あなたがたの神、主を求めよ」と言ったのです。「私も主のみことばを聴きます、お導きください」と祈りました。

 

1歴代誌 23章

 

「それは、彼とその子たちが、とこしえに主の前に香をたき、主に仕え、とこしえに主の御名によって祝福するためである。」

                    (1歴代誌 23:13)

 

 ダビデは、自分の人生の終わりが近いことを悟り、ソロモンをイスラエルの王として国の安定をはかり、ついで主の宮の奉仕のためのレビ族の編制を行いました。イスラエル社会の基礎は主を礼拝するところにあったからです。彼はレビ族をみな集めひとりひとり数えました。レビ族をゲルション、ケハテ、メラリの三部族に分け、主の宮のいろいろな仕事、祭司としての奉仕、賛美の奉仕、そして、宮の門衛の奉仕を分担させました。祭司のつとめを果たすのはアロンの子孫たちでした。他のレビ族は、庭や脇部屋の整備や、供え物とするパンや穀物、その量をきちんと量ることなど、いろいろな役割を分担しました。たいへんな仕事もあれば、人目につかない雑用もありました。しかし、それらすべては、アロンの子らを助けて、朝ごとに主をほめたたえ、賛美するため、そして夕べにも同じようにするためでした。レビ人はイスラエルの人々が絶えず主を礼拝するのを助けたのです。イスラエルが主の民として確立され成長するか、堕落して滅びるかは彼らの礼拝生活の確立にかかっていたのです。私たちもいろいろな奉仕を考えますが、そのすべてが主を崇め主を賛美することに向かっているかどうかが問われます。またレビ人はひとりひとり数えられました。彼らは、群れに分けてきちんと秩序付けられましたが、同時にひとりひとり大事にされました。私たちも、自分の召しを確信し、しかも独走せず、他の人々と調和を保って主に仕えることが大切だ、と示されます。

 

1歴代誌 24章

 

「彼らもまた、彼らの同族であるアロンの子らと全く同じように、・・・くじを引いた。一族では、かしらもその弟と全く同じであった。」

                    (1歴代誌 24:31)

 

 この章には、主の宮の祭司のつとめを与えられたアロンの子孫の組み分けと、他のレビ人の奉仕がくじで決められたことが記されています。アロンは出エジプトのときから弟モーセとともに主に仕え、イスラエルのために働きました。モーセが主から直接おことばをいただき、アロンはそれをイスラエルに伝えました。シナイの荒野で神の箱を中心にした礼拝のあり方が決められたとき、アロンは大祭司のつとめを与えられました。そのときから、アロンの子孫がイスラエルの祭司職を引き継ぐことになりました。アロンには4人の子どもがいましたが、ナダフとアビフは死に、エルアザルとイタマルが祭司職を継ぎました。その中でエルアザル系の子孫の方が多くいました。ナダフとアビフが死んだのは、彼らが異なる火をささげたからであり(民3:4)、イタマル系の子孫が少なかったのは、イタマルの子孫であったエリの子らが悪を行い、主のさばきを受け、エリの家が滅んだからでしょうが(1サムエル3:13)、それらのことには触れられていません。歴代誌記者の思いやりでしょうか。祭司の組分けのとき、一つ一つの組の名が、王の書記と祭司の前で記録されました。祭司職以外のレビ人の奉仕分担がくじで決められるときも、ひとりひとりがくじを引きました。かしらとか弟とかいう差別はされませんでした。主はどんな人の奉仕も同じように大事に受けてくださるのです。このことは私たちについても同じです。感謝し喜んで与えられるつとめに励もう、と思います。

 

1歴代誌 25章

 

「アサフとヘマンとエドトンの子らを奉仕のために取り分け、竪琴と弦の琴とシンバルに合わせて預言する者とした。」

                     (1歴代誌 25:1)

 

 ダビデは、祭司を整え聖歌隊を編制しました。アサフとヘマンとエドトンの子らの三つの家族を24組に編制し、預言のことばを中心に、竪琴と琴とシンバルをもって賛美する聖歌隊でした。今日で言うと、ことばによる賛美を軸に、弦楽器や打楽器などを用いるオーケストラが、賛美を受け持ったということでしょう。アサフの聖歌隊が、聞いて意味のわかる賛美を歌い、へマンの聖歌隊が弦楽器を奏で、エドトンの聖歌隊が打楽器を演奏したのでしょうか。立琴と十弦の琴とシンバルをもって預言する、と記されていますから、聞く者が意味を理解して賛美を捧げ、各種の楽器の演奏で宗教感情を高ぶらせたのでしょう。主への賛美は、宗教感情を高ぶらせるだけでなく、理性をもって意味を理解して賛美するべきだということでしょうか。私たちも、理性も感性も、私たちのすべてを用い、全身全霊、全生活をあげて主をほめたたえる者でありたい、と思いました。7節は、聖歌隊の人たちは皆、厳しい訓練を受けたことを示唆しています。彼らは達人になりました。しかし未熟な弟子たちもいたことでしょう。「彼らは、下の者も上の者も、達人も弟子も、みな同じように任務のためのくじを引いた」と記されています。主は上手下手に関わりなく、ひとりひとりの奉仕を大事にしてくださるのです。主への奉仕では、上手な人も思い上がらないように導かれ、未熟な人も力いっぱい奉仕するよに励まされるのです。へりくだり、感謝して、奉仕ができるのです。感謝です。

 

1歴代誌 26章

 

「門衛の組み分けについて。コラ人ではアサフ族のコレの子メシェレムヤ。・・・」

                     (1歴代誌 26:1)

 

 ダビデは祭司、聖歌隊に続いて、門衛を任命しました。門衛には、ケハテの流れのコラ族のメシェレムヤの兄弟と子ら、そしてオベデ・エドムの子たち、メラリ族からはホサの子たち、が任命されました。コラは、モーセとアロンンがイスラエルにたいする指導権を独占していると言って、モーセとアロンに逆らい、主のさばきを受けて死んだのですが(民16章)、その子孫たちは回復され、主の宮の門衛として主に仕える者とされました。罪を犯しても悔い改めて主に立ち返るなら、主は赦して、主に仕えることを許されるのです。主にあっては絶望はありません。オベデ・エドムというと、ダビデが主の箱をキルヤテ・エアリムからエルサレムに、運ぼうとしたとき、ウザの割り込み事件が起こり、ダビデが恐れて、神の箱をオベデ・エドムの家に回したところ、主が彼の家を祝されたので、ダビデは安心して、神の箱を彼の家からエルサレムに迎えた、という出来事を思い出します(2サムエル6:1~12)。オベデ・エドムはそれまで知られていなかった人でしたが、押し付けられた神の箱を忠実にお守りし、その彼を主は祝福されたのです。彼は多くの子を与えられ、門衛のなかでも一番大きな集団を形成しました。主から与えられたつとめを忠実に果たす者にはより大きなことが任せられるのです(マタイ25:23)。門衛に選ばれたコラ族とメラリ族の人々以外のレビ族から、宝物倉の管理人が選ばれ、また多くのレビ人がイスラエル全国に送られ、それぞれの地で民の礼拝を導きました。それぞれ大事なつとめでした。

 

1歴代誌 27章

 

「・・・彼らのつかさたちは王に仕え、一年のすべての月を通して、月ごとの交替制により、各分団のすべてのことに当たった。・・・。」

                     (1歴代誌 27:1)

 

 この章はダビデ王朝の軍事、行政制度についての記録です。当時はまだ国際的な平和が確立されておらず、略奪隊の侵入を防ぐのが、国民の生活を守るためのいちばん大事なつとめでしたから、ダビデは強力な軍隊を組織し、それを12軍団に分け、月ごとにそのつとめを果たさせました。12軍団の長の名前がすべて記されていますが、ヤショブアム、ベナヤ、アサエル、シベカイなど、2サムエル23章や1歴代誌11章などにダビデの勇士として上げられた名前が多く現れてきます。ダビデは、内政は部族を軸にして進めたようで、軍隊の編制につづいても、各部族の長の名前が列記されています。人口調査もしたようですが、20歳以下の者は数えませんでした。未成年者には責任の分担を求めなかったのでしょう。それでも、そのときの人口調査には自分の力を誇りたいという気持ちが働いていたのか、主の怒りを買ったと記されており、そこにダビデの悔い改めが感じ取れます。その後ダビデ王朝の財務管理のことが記されています。宝物倉の管理、農夫の監理やブドウ畑の監督、いちじく桑の畑の管理、牛やひつじ、らくだの世話などの仕事もそれぞれ役割が定められ、責任者が決められました。最後にダビデの政府の構成が示されます。知恵のある議官や書記、ダビデを愛する人々、強力な軍の長、などの名が列挙されています。主のための奉仕も、一人でするものではなく、多くの人々との愛と信頼による秩序ある協力によって進められるのだ、と示されます。

1歴代誌 28章

 

「わが子ソロモンよ。あなたの父の神を知り、全き心と喜びの気持ちを

もって神に仕えなさい。」

                     (1歴代誌 28:9)

 

 ダビデは、イスラエルのいろいろな分野のすべての指導者たちを呼び集め、ソロモンが主の宮を建てることを告げ、彼らにその仕事への協力を求めました。彼は、主が彼を選んでイスラエルの王とされたことを証し、自分は主の宮を建てたいと願っていたが、主はソロモンを選んで、ダビデの後継者とし、主の宮を建てる働きを彼に託された、と語りました。自分の願いによって動くのではなく、すべてのことは主の主権の下にあることを認め、それぞれの仕事は主の選びによって立てられた人によって進められるのだという信仰の告白でした。そして、ソロモンに、「わが子ソロモンよ。あなたの父の神を知り、全き心と喜びの気持ちを

もって神に仕えなさい」と命じました。主の御業に携わる者にとって大切なことは、自分の願いに従い自分の能力に頼って事を進めるのでなく、主を知り主を愛し主のために喜んで事に当ることです。私たちにとっても同じです。主が私たちを選んでくださったことを確信し、主が与えられたことを、仕事としてではなく、まず主を知り、主を愛し、主のご本心を悟り、主の召しとして受け 、心からの感謝と喜びをもって、果たすことができたらどんなに幸いなことでしょうか。そういう人生に導いてください、と祈りました。ダビデは、実際に主の宮を建てるつとめはソロモンのものだと知りながら、主の宮を建てるための準備に励みました。出すぎではないかと思うくらい一生懸命でした。それほど深く主を愛していたのです。

 

1歴代誌 29章

 

「民は長たちが自から進んで献げたことを喜んだ。」

                      (1歴代誌29:9)

 

 ダビデは、主の宮を建てるのはソロモンだと示され、それを受け入れましたが、それでも主の宮を建てる働きに加えてもらいたいという願いを強くもっていました。御霊の示しによると信じて設計図まで考えました(28:12)。主の宮を建てるのに必要な資材を力いっぱいささげました。そして、主の宮建設の大事業に、イスラエルの民もささげ物をするように招きました。心から喜んで、自分の持てる力一杯ささげる人の姿は多くの人の心をうつものです。ダビデの招きに応じて、イスラエルのリーダーたちも力一杯のささげ物をしました。そのとき、「民は長たちが自から進んで献げたことを喜んだ。彼らが全き心もって、自ら進んで主に献げたからである。ダビデ王も大いに喜んだ」という光景が現れました。素晴らしい恵みの時であり、喜びの経験でした。そのとき、神の偉大さと、自分たちの無力さとを知り、すべての恵みが主の賜物であることを悟って祈るように導かれました(10~19)。これは、本気で主を愛し、自ら進んで主にささげ物をする者お互いの間で経験できる喜びです。私たちも、このような喜びの交わりの中で主に仕える経験にあづかりたいものです。この恵みの経験の後、ダビデとイスラエルは、主に礼拝をささげ、主の御前で飲み食いして、喜び楽しみ、改めてソロモンの王位を確認しました。イスラエルから争いが消え去り、全土に全き平和が訪れ、ダビデは、平和と繁栄とに包まれて人生の最後を迎えました。私たちもこのような祝福に満ちた人生の最後を迎えることができるだろうか、と問われます。

 

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